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2020/04/27

■コロナ危機を活かす〔4〕「仕事の価値を問い直す」

今回も「自由か安全か」の切り口から、思い切り寄り道です。

「自由」は、この数百年の、いわゆる近代において、私たちが望んでいた基本理念だと言っていいでしょう。
神への隷属から王への隷属という長い歴史の中で、「自由」が普遍性を持ち始めた。しかし、自由はいいことだけではありません。

サルトルは、「人間は自由へと呪われている」といいました。
人間は、自ら、自由に決断できる。しかし、その結果を自らで受け止めなければならない。そのため、一度、手に入れた「自由」から逃げる人も少なくありません。いわゆる「奴隷の幸福」を選択するのです。
命令に従って強制的に働かされる奴隷は、自分の頭で何をするべきか考える必要はないし、その行動の結果の責任もとらなくていいので、そこに安心を見つけ、幸せを感じる人は少なくないのです。
日本でも、明治以来の教育の成果で、自由を目指す人は少なく、「お上」に従うことをよしとする風潮は今なお強く残っています。

コロナウイルス騒ぎが、そのことを示しています。
「お上」に従わない人たちは、世間の冷たい目にさらされてしまっています。
そして、日本国中、事実も知らされないままの「目隠し」自粛ムードです。

しかし、「自粛」したからと言って、感染の「安全」が保証されるわけではありません。
ここまで市中感染や家庭内感染が広がっている状況では、どこにいても、クルーザー現象は起こりえます。
外出自粛とは「空間への閉じ籠り」でもあります。となれば、「換気」の悪い「三密」の発生につながっていく。

ちなみに、大切な「換気」は空気だけではありません。
しかし、不思議なことに誰もそれを問題にしない。「三密」論を信奉している人たちの住居は広く間取りにも恵まれ、家族関係にもめぐまれているのかもしれません。
しかし、そうではない住居空間に住んでいる人も少なくありません。

こうしたことの背後にあるのは、安全を維持するためにはみんなが勝手に行動する自由を制約するのがいいという認識があるように思います。
そこには政府の「国民観」と同時に、いまの社会を支えている社会原理が見え隠れしています。

昨日の朝日新聞に藤原辰史さんがこんなことを書いていました。

現在ニューヨーク市保健局が毎日更新する感染地図は、テレワーク可能な人の職場が集中するマンハッタンの感染率が激減する一方で、在宅勤務不可能な人びとが多く住む地区の感染率が増加していることを示している。これが意味するのは、在宅勤務が可能な仕事は、「弱者」の低賃金労働に支えられることによってしか成立しないという厳粛な事実だ。今の政治が医療現場や生活現場にピントを合わせられないのは、世の仕組みを見据える眼差(まなざ)しが欠如しているからである。

おそらく日本の経済社会も、同じような構造になってきています、
経済の現場は汗して働く低賃金の非正規労働者に支えられているのです。
テレワークしている正規社員の仕事の大半はなくてもたぶん経済は維持できるでしょうが、現場の人出がなくなれば、経済は回らなくなる。
ここに、「価値ある仕事」とは何なのかが示唆されています。

仕事の価値も含めて、私たちの社会(生活環境)を維持していくために不可欠な役割を果たしている人はいったい誰なのか、コロナはそれを見えるようにしてくれました。
ドイツのメルケル首相はこう国民に呼びかけました。

ここで、普段滅多に感謝されることのない方たちにもお礼を言わせてください。
このような状況下で日々スーパーのレジに座っている方、商品棚を補充している方は、現在ある中でも最も困難な仕事のひとつを担っています。同じ国に住む皆様のために尽力し、言葉通りの意味でお店の営業を維持してくださりありがとうございます。

仕事の価値を改めて考え直したい。
そして現場で頑張っている作業の報酬対価がとてもその価値に見合っていない現在の状況に、疑問を持ちたい、と私は思います。

思い切り寄り道してしまいましたが、コロナ禍が「仕事の価値を問い直す」契機になれば、社会は間違いなくよくなるはずです。

 

 

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