■節子への挽歌4564:「問題をかたづけるというのは死ぬことだ」
節子
今日も、午後1時間ほど、畑に行ったほかは在宅でした。
しかもテレビの前で、ずっとテレビをかけながらほとんどパソコンに向かっていました。
そのおかげで、ブログの時評編を3つも書いてしまいました。
フェイスブックにも紹介したためか、久しぶりに今日のブログへのアクセスは500を超えました。
最近あんまりアクセスはなく、200弱のことが多いのですが。
目が疲れるので、時々、気分転換に本を読みました。
フェイスブックに書いたことへのコメントで思い出した「豊かさへの旅」という森本哲郎さんの本です。
もう半世紀前の本ですが、私の記憶に残っている本の一冊です。
読み直して、半世紀前のことを思い出しました。
当時はまだ会社に勤めていましたが、この本を私の職場のメンバーに読ませたくて、書店を回ってこの本をメンバー分買い集めようとしたのですが、当時は品切れで入手できなかったことを覚えています。
そういえば、その時の組織名(CI事務局)も私が勝手に命名した組織でした。
今から考えると、かなり組織を逸脱していました。
時評編にも書いたのですが、その本に「人間てのは、問題そのものなんだから問題をかたづけるというのは死ぬこと」という文章があるのに気づきました。
たしかにそうです。
問題が何もなく平安な人生がいいと思っていた時もありますが、今はむしろ問題があることが人生を豊かにすると考えるようになりました。
ちょっと負け惜しみ的な要素もあるのですが、半分以上は本音です。
しかし最近はやや問題が多すぎます。
まあ新型コロナウイルス問題は私には些末な話です。
世間は新型コロナウイルス一辺倒ですが、森本さんが危惧していた日本になってしまったのかもしれません。
もっと自由に、自分の人生を生きるようになれば、社会はもっと豊かになっていくでしょう。
そしてもっとさまざまな問題にもみんなが気づくようになれば、社会はもっと楽しくなっていくでしょう。
節子がいたら、新型ウイルスにどう対処したか、ちょっと興味があります。
少なくともマスクは作ったでしょう。
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