« ■こんなにも社会はもろかったのか | トップページ | ■私の脳が少しおかしくなってきたようです »

2020/04/05

■「不要不急の活動」

昨日、湯島でオープンサロンをしました。

家を出る直前まで娘からはやめたらと言われましたが、2時から湯島でコーヒーを飲んでいるのでという案内を出した以上は、誰も来なくても行っていようと思い、湯島に行きました。
他者から見たら、まさに「不要不急の活動」でしょう。

サロンには3人の人がやってきました。
たわいもない話(不要不急の話題)が多かったのですが、この騒ぎを契機に、仕事の意味や生き方の問い直しが起こるといいというような話もありました。
さらに最後に来た、IT関係の専門家の人から、IT関係の仕事こそ「不要不急」だという過激な発言がありました。

その人は、いまもIT関係の仕事をしていて、自他ともに認めるITのプロだと私は思っているのですが、まさかその人からそういう発言があるとは思ってもいませんでした。
その人の発言は、まさに我が意を得たりというものだったので、これまで書かなかったことを書くことにしました。

私の昨日のサロンは、私にとっては大切な活動です。
私の「不要不急」の基準は、たぶん世間とは真反対です。

昨今のほとんどの経済活動や政治活動は、私には「不要不急の活動」に見えます。
国民全員にマスクを配布する活動を考えれば、わかってもらえるかもしれません。
あれは実に現在の日本の政治と経済を象徴しています。
私には、現在の国会での活動もほぼすべて「不要不急」ですし、大企業の仕事のほとんども、いまこの時期には「不要不急」のように思えます。

経済活動が止まったらトイレットペーパーがなくなるではないかと言われそうですが、もちろん価値ある仕事もたくさんあります。しかし、そういう大切な仕事や働き手が、割を食わされているのが現在の経済活動のように思えます。

3か月くらい先に延ばしても困らない大企業の経済活動(例えば自動車生産)を一斉に止めれば、満員電車は解消されるでしょう。
ビジネス化した観光地を閉めれば、多くの人はもっと身近な観光地に気づくでしょう。
ブランド化した行列のできるレストランとは違った、近くの小さなレストランをみんなで育てていこうと思えるようになるかもしれません。
ライブハウスやスポーツジムは、私にはまったく理解できないので、コメントはできませんが。

 資金の流通も3か月止めても、困るのは金融経済での不労所得者だけでしょう。
それでも資金繰りがつかずに倒産することがないように、国庫からの支援で対応する必要はありますが、お金の流れを一時止めれば大きな問題は起きないでしょう。

いずれにしろ、3か月生産や活動を止めても、大丈夫の経済活動はたくさんあるでしょう。
その間に、社会から無駄な贅肉や悪さをする経済・政治活動が顕在化されるでしょう。

文化活動やスポーツ活動は、微妙ですが、むしろ巨大化(産業化)した今の文化活動やスポーツ活動を見直す機会になるでしょう。
私は昨今のような産業化した文化活動やスポーツ活動にはなじめません。
私の感覚ではあれは文化でもスポーツでもなく、単なる産業です。
スポーツ選手には申し訳ありませんが、彼らはなにかをはき違えているとしか思えません。
ここまで書くとまた叱られるでしょうが、彼らを非難しているのではありません。
パスカルではありませんが、生きるためにはパンだけではなく、バラも必要だとは思っていますが、バラは私たちの周りにはたくさんあります。

子どもの育て方や学校教育の在り方も再考されれば、うれしいです。

私が休日にしか外出しないのは、休日の外出が人との接触が管理できるからです。
昨日、サロンに参加した一人も、平日は出歩けないが今日は電車に乗れるから来たと言っていました。
外出自粛ではなく、感染可能性の高い場所の改善や封鎖を考えるのが先決です。
個人は、外出自粛ではなく、感染予防に取り組むべきです。

生活支援の給付金が話題になっていますが、月20万円では生活できないのではないかと言う人が多いのには驚きます。
私には着ぶくれている生活をしているのではないかと思えてなりません。
私もそういう生活をしていたことがあるので偉そうなことは言えませんが、住宅費さえ抑えられれば、10万円もいらないでしょう。
住宅が余っているのですから、住宅は無償で提供するようにすれば、生活費の感覚は変わるでしょう。

私が思うには、最近は人間の生活を維持していくためにはなくてもいいことが多すぎます。
経済活動が止まったらどうなるかと言われそうですが、いまは着ぶくれた経済活動になっていて、生活のためではなくお金のための経済活動になっているように思えてなりません。

人生にとって、何が大切か。
社会にとって、何が大切か。
ぜひ今回のウイルス騒ぎを契機に、考えたいことです。

お金のためから考えるのではなく、自らの人生を基準に考えたい。
お金を稼ぐために私たちは生まれてきたのではありません。
そして、自分にとって「不要不急の活動」とは一体何なのかを考えると、たぶん生き方は変わっていく。
社会も変わっていく。

そういう契機になればいいなと思っています。

 

 

|

« ■こんなにも社会はもろかったのか | トップページ | ■私の脳が少しおかしくなってきたようです »

社会時評」カテゴリの記事

生き方の話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■こんなにも社会はもろかったのか | トップページ | ■私の脳が少しおかしくなってきたようです »