■「ペスト」を読んでちょっと考えさせられました
今日は終日、在宅だったので、カミユの「ペスト」を読みました。
本文に入る前に、ダニエル・デフォーの次の言葉が引用されています。
ここにカミユの意図がうかがえます。
ある種の監禁状態を他のある種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在するあるものを、存在しないあるものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである。
「ある種の監禁状態」とは、カミユが若いころにアルジェリアで強く感じていたことかもしれません。
私の記憶には、医師のリウーがあまりに強く残っていたのですが、今回はリウーと一緒にペスト対策に取り組んだ、タルーの言葉が心に突き刺さりました。
タルーは自らに関して、こう語っています。
「僕はこの町や今度の疫病に出くわすずっと前から、既にペストに苦しめられていたんだ。というのは、まあ、つまり、僕も、世間みんなとおんなじようだということなんだがね。しかし世間には、そういうことを知らない連中もあれば、そういう状態のなかで心地よく感じている連中もあるし、また、そういうことを知って、できれば、それから抜け出したいと思っている者もある。僕は、いつも抜け出したいと思ったのだった」。
タルーが言う「体験してきているペスト」とは、病気のペストが蔓延している時に顕在化される社会の状況を指しています。
タルーは、そうしたことに気づいてから、「世間でよくいう政治運動」に取り組むようになったと語っています。
そして、つづけてこう言います。
「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ」
「ペスト」というところに新型コロナウイルスを置いてみると、今まさに私たちが体験していることとつながってくるかもしれません。
新聞記者のランベールの行動変容もまた、考えさせられるものがあります。
当初、彼は恋人に会うために閉鎖された町から抜け出そうとしますが、それが可能になった時に、町に残ってペストから人々を守る活動に参加します。
そのいきさつのところに、前回、読んだ時(私は20代でした)の赤線が引いてありましたが、今回はそこではなく、次の言葉に目が行きました。
「ペスト以前にだっておんなじぐらい危険はあったんですからな、往来の激しい四辻を渡る時なんか」とランベールは言うのです。
もう一人、パヌルー神父の言葉も示唆に富んでいます。
ペストのなかに離れ島はないことを、しつかり心に言い聞かせておかねばならぬ。
ペスト騒ぎが一段落して、平安な日常が見えてきたときに、リウー医師はこう書いています。
彼等は今では知っているのだ - 人が常に欲し、そして時々手に入れることができるものがあるとすれば、それはすなわち人間の愛情であることを。
私たちが、「愛」を忘れたときに、パンデミックはやってくるのかもしれません。
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