■節子への挽歌4565:蔵原さんへの追悼文を書き上げました
蔵原さんへの追悼文を何とか書き上げました。
呼びかけてくれた岡和田さんに送りました。
追悼文を書くということの意味がわかりました。
追悼文を考え、書く間、その人と世界を共有するということなのです。
たぶん世界を分かち合う期間を通して、その人との交流を思い出し、これからの交流を生みだすことなのです。
思っていた以上に、彼と関係があったことに気づきました。
これから誰かを送った時には、追悼文を書こうと思います。
改めて気づいたのは、蔵原さんの邪気のなさでした。
しかも実に明るい。
私にはとてもなれないキャラクターですが、改めてもう少しきちんと付き合っておくべきだったとも思いました。
いろんな発見がありました。
私に追悼文を書くように誘ったのは共通の友人の岡和田さんです。
まだ若い岡和田さんが、追悼文集の起案者だと思いますが、改めて岡和田さんに関心を持ちました。
彼は人を追悼する意味を知っているのです。
蔵原さんへの追悼文への最後の部分を引用しておきます。
後でまた思い出せるように。
もしかしたら、あなたもまた突然、湯島にやってくるかもしれません。
珈琲はモカじゃないと飲みませんなどと言われると困るので、湯島ではこれからはモカは常備しておくことにしようと思います。
もっともピュアなモカは高くて私には負担が重いので、ブレンドにさせてもらいますが。また会えるのを楽しみにしています。
邪気のない、あなたが好きでした。
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