■チューリップにお詫びしました
新聞で知ったのですが、千葉県の佐倉ふるさと広場で見事に咲いていた80万本のチューリップが、見物客で人が集まり、新型コロナウイルス感染の拡大拠点になる恐れから、すべて刈り取られたそうです。
その記事を読んで、人間も新型ウイルスと同じだなと、改めて思いました。
我が家の近くの柏市にも、あけぼの山農業公園というのがあって、そこもちょうど1週間前にチューリップが満開になりました。
昨日、娘家族が、もしかして佐倉と同じように刈り取られてしまうのではないかといって、見に行きました。
残念ながらまさに昨日の午前中に、ここもトラクターで無残にも刈り取られたそうで、数時間の差で、チューリップには会えなかったそうです。
確かに見物客で人が密集したら感染が広がる恐れはありますが、だと言って、トラクターでチューリップを刈り取るというような粗暴な行為が許されていいとは思いません。
チューリップからたくさんの免疫力をもらえる仕組みをつくれたはずです。
それをトラクターで刈り取るとは、生命への思いが全く感じられない。
自然の報復を受けても、仕方がありません。
そういう生命への扱い方が、まさに今のパンデミックを起こしていると思っている私には、とても悲しい話です。
我が家の庭にも、植え替えを忘れていたチューリップが3本咲きました。
その1本を仏壇に供えていますが、それだけでも心が癒され、元気が出ます。
満開の美しく優しいたくさんのチューリップから、どれだけの人が元気をもらえたでしょうか。
生命は、ほかの生命にも元気を与えてくれるのです。
たしかに、大勢の人が集まりすぎたら、危険だったかもしれませんが、それはチューリップの問題ではありません。
問題を間違ってはいけません。
チューリップは、集まった人たちに生命力を与えてくれたはずです。
それを、チューリップのせいにして抹殺してしまうとは!
なぜチューリップを活かす仕組みを考えなかったのか。
実はこれは、ウイルスを悪者にして、問題をすり替えているいまの社会と全く同じです。
それではパンデミックは収まらないでしょう。
そもそもウイルスだけが病をもたらすわけではありません。
外出自粛とか人との距離を保つとかいう方策には、私はどうも違和感があります。
それは、生命の本性に反していると思うからです。
問題は排除すればいいという発想にも違和感があります。
自然界において歓迎されていないのは、私たち人間かもしれません。
そのことを、新型コロナウイルスが気づかせてくれようとしているとは思いませんが、私たちが気づこうと思えば気づけることに気づかなければいけません。
いずれにしろ、刈り取られたたくさんのチューリップのために、今朝、我が家の仏壇に備わられている1本のチューリップに謝りました。
さぞかし無念だったことでしょう。
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コメント
全くまったく同感です。私が怖いのはCOVID-19ではありません。人間のこの社会です。科学も医療も進歩したというけれど、人間の意識革命はなかった。今こそ次なる社会システムの構築が必要と思うのです。それを進め始めている人やグループがあるのではないかと思うのですが、どうなんでしょうか。💖☺️
投稿: Niko | 2020/04/22 09:25