■節子への挽歌4568:兄夫婦の顔を見に行きました
節子
今日は思い立って、お墓に行きました。
さすがにお参りの人は皆無でした。
先日の菊の花がまだがんばって咲いていました。
お墓に立ち寄ったのは、兄夫婦の家にちょっと顔を見に行ったからです。
新型コロナで、いつ、会えなくなるかもしれません。
まあそんなこともあって、顔だけを見に行ったわけです。
最近は外出も控えているようですが、万一のこともありますので。
幸いにいまのところは2人とも異常なしです。
家に入るのもちょっと気が引けたので、マスク越しの奇妙な会話でしたが。
岡江さんの急逝は他人事ではありません。
いつ同じようなことが私にも起こるかもしれません。
一応、そのための準備だけはしておこうと思ったわけです。
感染症は、人の別れを残酷なものにします。
死に際にも直接接触できないのでは、立ち直れなくしてしまうかもしれません。
なにか方法があるはずですが、私が当事者になったら、たぶん禁を犯したくなるでしょう。
いつ別れが来るかもしれないという緊張感を持って、健康の人と付き合うのは初めてです。
それも含めて、いろいろなことを考えるいい機会になっています。
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