■半世紀ぶりに森本哲郎さんの「豊かさへの旅」を読みました
先に書いた、トラクターによるチューリップの刈り取りの記事へのコメントで、思い出して、「豊かさへの旅」を書庫から見つけてざっと読み直しました。
今の都市計画にも引けを取らないといわれるインダス文明の中心都市モヘンジョ・ダロがなぜ滅びたかは謎とされています。z
モヘンジョ・ダロは4500年ほど前の都市ですが、区画整備され、下水道はもちろん、ダストシュートも水洗便所もあったことが遺跡からわかっています。
合理的で清潔な都市を目指して都市整備を進めていたのに、ある時、突然、住人がいなくなって廃墟になったのです。
ちなみにこの都市は、メソポタミア諸国との通商によって豊かさを実現した平和国家で、軍隊をもっていなかったようで、戦争でほろんだわけではないようです。
環境破壊や感染病などの疫病で滅んだわけでもなさそうです。
ではどうして滅びたのか。
森本哲郎さんが著書「豊かさへの旅」(1972年)で書いている説はとても納得できます。
清潔で合理的な都市を目指していた住民たちは、上下水道やごみ処理システムを整備して、どんどんと美しい都市をつくり上げてきました。
無駄なものや汚いものはどんどん片付けられて、美しい都市になってきました。
ところが、なかなか清潔で合理的な理想都市が実現できない。
なぜだろうかとみんな考えたがわからない。
しかしある時、その理由にはっと気づいた。
清潔でなく合理的でもない人間が住んでいる限り、理想都市は完成しない、と。
そこで住民たちは、自らをまとめて片付けたのではないかというのです。
実にいいでしょう。
まあこうしたことは最近私たちも時々やっています。
まだ人間には行きついていませんが、豚や鶏の殺処分は何回も経験しています。
最初、その報道を知った時には、背筋が寒くなり、いつ私が対象になるのだろうかと怯えましたが、最近は慣れてきてしまいました。
そのせいか、現在のコロナ騒ぎもあんまり怯えていないのです。
私がこの本を読んだのはもういまから半世紀ほど前です。
このくだりに共感して、会社の忘年会での寸劇の出し物にしたのではっきりと覚えているのです。
ところで、インドにはまだ栄えている都市があります。
ベナレスです。
実に汚い都市だと、当時、森本さんは書いています。
そして、きれいで合理的なモヘンジョ・ダロは滅び、不潔で混乱しているベナレスは残っている、と書いたうえで、日本の行く末を心配しています。
当時日本はモヘンジョ・ダロ路線に入りだしていたからです。
ところで今日、読み直して、こんなことを森本さんが書いていることに気づきました。
「人間てのは、問題そのものなんだから問題をかたづけるというのは死ぬこと」だ。
これは、最近の私の信条の一つですが、そのルーツは森本さんのこの本にあったようです。
この本は含蓄のあるいい本です。
気安く読める本ですので、もし入手出来たらお読みください。
ポストコロナ時代の生き方へのヒントも得られるかもしれません。
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