■節子への挽歌4559:追悼文が書けません
節子
節子がいなくなってから、湯島に来るようになった人がたくさんいます。
その一人である蔵原さんが、突然亡くなりました。
昨年末から今年にかけて湯島で2回もサロンをしてもらい、4月にもう一度、やってもらう予定だったのですが、突然の訃報でした。
私よりも2周りは若い異才でした。
彼と知り合って、まだそう長くはないのですが、なぜか心がつながった感じです。
彼の突然の死は、私には衝撃的でした。
そう言えば、挽歌を書けなかった時期に、もう一人、サロンの常連がなくなりました。
そのことは書いたのかどうかさえ記憶がないのですが、2月7日に太田篤さんがなくなりました。
昨秋、癌が見つかり、手術も出来ない程進行していたのです。
彼は、抗がん治療を一切せずに、毅然として死を受け入れました。
もしまだ書いていないようであれば、またきちんと書きますが、2月から3月にかけて、複数の友人の死に会いました。
節子の死は、私にとっては自らの死とかなり重なっていましたが、友人たちの死も、たぶんなにがしかの重なりを持っているのでしょう。
そのせいか、自分の死がとても身近に感じるとともに、なんとなく生きていること自体の現実感が希薄になっていたような気がします。
この2か月の私の生活は、ちょっとおかしくなっていたかもしれません。
それにハッと気づいたのは、1週間ほど前にテレビで見た夜桜の映像でした。
突然に涙が出てきました。
不思議な感覚で覆われたのですが、その時に節子を隣に感じたのです。
いや冥界にいるような気がしたのです。
話がおかしくなってしまいましたが、蔵原さんの追悼文を誘われました。
そんなに付き合いがあったわけではないのですが、なぜか共通の友人が私を誘ってくれたのです。
締め切り日が近づいたので、書こうと思うのですが、そのたびにあの夜桜の映像が眼に浮かんでしまい、書けません。
夜桜の向こうに、蔵原さんまで見えるようになってしまったのです。
最近ちょっと私の精神状態がおかしいのかもしれません。
コロナウイルスが全く心配でないのも、そのせいかもしれません。
どうしたら現世に戻って来られるでしょうか。
困ったものです。
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