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2020/04/19

■節子への挽歌4558:デクノボーを忘れてはいけません

節子

新型コロナウイルス感染症のパンデミック的広がりで社会は壊れそうになっています。
感染防止のために外出自粛が社会的圧力となって、みんなの生活を変えだしています。
恐ろしいほどの同調機運が広がっています。

私自身がこの感染症の広がりを実感したのは、2月初めの京都旅行でしたが、以来、できれば早い時期に軽い感染をしておきたいと考えていました。
主観的には、もしかしたらそれに成功しているかもしれませんが、確証はありません。
ですから、この2週間は湯島にもほとんど行かずに、人と会う機会も最小化しています。
そういう生活になると、何となく気が萎えてしまい、挽歌を書くのもそうですが、本も読む気がなくなってしまってきました。
さらにいえば、生きる事へのモチベーションも低下してしまい、まさにこの1週間は、正真正銘の無為な生活に堕してしまっています。

感染症のほうは、私が思っていたのとほぼ同じ展開になってきていますが、違っていたのは、ウイルスの人命への悪さが思っていた以上に強いことです。
たとえば、体力のある人が、急変して死に至ることも報告されています。
ウイルスともなかよく共生したいと思っている私にとっては、万一運悪く命を落とすことになっても、それはそれで仕方がないと思ってはいますが、娘や孫を考えるとそう勝手な行動には出られないという気になってきてしまっています。
それで数日前から、私にとってはいささか過剰防衛的になってきています。
ところがそれが私にはやはりよくないようです。
なにか気が晴れません。

私の思いは、世間的な風潮とはやはり大きな違いがあって、その風潮に合わせることにやはり割り切れないものがあるのです。
どうも自分でも、気持ちの悪い生き方になっているのです。

しかし、正真正銘の無為の生き方からは脱しなければいけません。
このままだと精神的にもおかしくなりかねません。
今週はまた湯島に行き出そうと思います。

もし困っている人がいたら、行かなくてはいけません。
宮沢賢治の目指した「デクノボー」のように生きることを忘れてはいけません。

 

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