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2020/05/24

■節子への挽歌4614:支え支えられて生きていく

節子

敦賀にいる節子のお姉さんからお米と野菜が届きました。
野菜はいま高いそうなので助かります。
まあこういう感じで、私の生活は支えられているのでしょう。
感謝しなければいけません。

もしお金などというものがなくなり、お互いに分かち合うような人のつながりが社会を構成するようになったら、世界はどんなに住みやすくなることでしょう。

幼馴染の友人がいまちょっと闘病生活に入っていますが、彼を見舞った人の友人から、彼が、「修が、経済の豊かさより心の豊かさを求めた方が良いと言っていて、変なことを言うと思っていたけど、修の言うことは正しい。これからはそんな方向に世の中が変わっていくんじゃないかな」、と言っていたそうです。

彼は最近、私に会うたびにうなぎをご馳走してくれます。
自分は胃の一部がないので、そんなに食べられないのですが、お店に行くと私が普段はとても食べられないだろう一番高いのを注文したがります。困ったものですが、そうやって私を支えてくれているわけです。

彼は靴屋をいまでもやっているのですが、最近は感じのいい人には原価割れで売ってしまうようなので、いささか心配ですが、まあ彼が言うような方向に社会が変わっていってほしいです。

昨日は土曜サロンでしたが、予想以上に人が集まりました。
みんな人とのつながりを求めている。
しかし、人とのつながりを生みだし維持していくのは、それなりにわずらわしいことでもあります。そのわずらわしさを受け入れるかどうかがポイントです。

生活を支えられるということは、その相手の生活を支えるということでもあります。
「ケア」ということが、双方向的な関係概念であると同じように、「支える」もまた双方向的な関係概念です。

支え支えられて生きていく。
コロナ騒ぎがそういう社会に向かわせてくれるのかどうか、まだわかりませんが、もしそうなればコロナのパンデミックも起こらないでしょう。
パンデミックは、コロナウイルスが起こすのではなく、人間が起こすものだと、やはり私はいまでも思っています。

 

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