■節子への挽歌4584:コロナ狂騒
節子
コロナ騒ぎはますますおかしくなってきている気がします。
ともかくあまり実体のない数字をベースに議論していますので、わけがわからないのです。
さすがに一部の専門家は、おかしいと明言しだしていますが、現実は変わりません。
私が現に生きている世界と別の世界が、テレビで報じられているような気がしてなりません。
ですから私には「危機感」がなかなか出てこないのですが、しかしその一方で、突然死とか経済危機や医療崩壊の可能性が高まっているという印象は強まっています。
私自身は、気にしだしたのが1月下旬で、その時にはまさかここまでくるとは思っていませんでした。3月には市中感染率はかなり高まり、私も感染したのではないかと思っているのですが、むしろそういう感じからすれば、不安感はかなり低くなっています。
ヤマを越した感じがします。
もっとも感染者や死亡者はさらに増えるでしょうが、かなり知見はたまってきました。
きちんと対応すれば、感染の確率はかなり低くできるような気がしています。
むしろ何も知らずに自宅に閉じこもることの方が危険だと思っているほどです。
しかしそうはいってもなかなか外出はできません。
節子がいたら、きっと毎日、私は節子を誘って、出ていたでしょう。
もちろん他者との接触は最少化してですが。
感染者の発表数字は、私には低すぎる気がしますが、専門家会議の学者たちは相変わらず数字遊びから抜け出ていません。
根拠のない数字が国の政策を決めるというとんでもない状況が起こっているのです。
本当にこの人たちは科学者なのだろうか、詐欺師集団ではないかと思いたいほどですが、彼らも精いっぱい頑張っているのでしょうから、腹は立ちますが、同時に同情したくなります。能力以上の役割を引き受けてしまったのでしょう。
そもそもウイルスのことなど誰にもわからないでしょうから、わからないことはわからないと言いたのでしょうが、それが言えないのでしょう。
サロンをやっている益田さんの見識に敬意を表します。
わからないことはわからないと言って、みんなで話し合うほどの見識を持たなければいけません。
私ももっと気をつけなくてはいけません。
ついつい知ったようなことを言ってしまいがちです。
困ったものです。
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