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2020/05/10

■なにが「危機」なのか、危機を救ってくれるのは「誰」なのか

新型コロナウイルスのおかげでいろいろなことが変わりだしています。
なかには「やむを得ず」というものもありますが、「変わろうとしていたことを加速させた」というものも少なくないでしょう。

たとえば、新聞ですが、新聞はかなり前から変わりだしていました。
私が明らかに変わったと感じたのは、1年前の大型連休からです。
昨年の大型連休の前後で、折り込みチラシの量が激減しました。
そしてそのころから、紙面から現場取材記事が減少しだしました。

その動きが、今回さらに進みました。
折り込みチラシはほとんどなくなりました。
唯一多くなったのは、家族葬の広告です。
毎日のようにはいってきます。
折り込みチラシがなくなれば、地域の新聞配達事業は存続が難しいでしょう。
事業態様を変えるか、新聞の配達は終わるでしょう。
郵便配達との合体もあるかもしれません。

テレビも大きく変わりました。
再放送が増えていますが、同時に新たに作られる番組のスタイルが一変しました。
基本形はまだ変わっていませんが、間もなく変わっていくでしょう。
たとえば報道バラエティのような番組のコメンテーターは今はまだこれまでと同じような「タレント」ですが、ZOOMなどを使うのであれば、
別にタレントでなくてもいいわけです。視聴者が参加するスタイルが生まれてくるでしょう。

番組の配信方法も変わりだしています。
デマンド配信も増えていますが、それこそすべての作品が誰でもいつでも取り出せるような仕組みになるかもしれません。つまり作り手が「放送」するのではなく、観るほうが「視聴」に行くというように、流れが逆転するわけです。
さらに言えば、作り手と受け手が合体することになっていくでしょう。

こう考えていくと、「報道」という概念がなくなるかもしれません。
「情報社会」がようやく現実のものになるかもしれません。

これはほんの一例ですが、こうした変化がさまざまな分野で起こりつつあるのでしょう。
そうしたなかで、一部の人たちは「もっと自由に自分を生きてもいいのだ」ということに気づくでしょう。

昨日のサロンでも少し話題になりましたが、これまでは「働いてきた」のではなく「働かされてきた」のだと気づいた人が出始めているようです。「働かされる」のと「働く」のとでは、まったく違いますが、これまではみんな同じだと考えていた。
同じような「気づき」はほかにもたくさんあります。

社会がどう変わるか。
そういう視点から「緊急事態」とは何かを考えると、たぶん全く違った展望が見えてくるはずです。
なにが「危機」なのか、その危機を救ってくれるのは「誰」なのか、ここはしっかりと考える時だろうと思います。

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