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2020/05/31

■節子への挽歌4625:誕生日のお祝いメッセージ

節子

昨日は誕生日でしたが、フェイスブックでいろんな人が「誕生日おめでとう」メッセージを送ってきてくれました。
昨年は、これに異を唱えたので、昨年よりは少なかったと思いますが、個人宛メールや公開の書き込みなど60人以上の人からのメッセージです。
なかにはどうも決まった長い定型文のようなものもありますし、シンプルな「お誕生日おめでとうございます」というのもあります。

よかれと思って書いたのかもしれませんが、私が批判していることや写真を供えたものさえあります。たとえば、一昨日、コロナ対策で頑張っている医療関係者への謝意を示すためと言って、政府は東京上空に自衛隊のブルーインパルスを飛ばせましたが、その写真を添えてお誕生日おめでとうと書いてきた人もいます。
私のフェイスブックを読んでいるのか、と言いたい気もしますが、儀礼的にただ制度に乗っているだけの生き方をしている人でしょう。気持ちを逆なでしていることなど全く気にせずに、ただかいてきているので、別にその人に悪意があるわけではないでしょう。
こういう人が多いので、哀しくなります。

しかし、そうしたことを踏まえてメッセージしてくる人もいます。

フェイスブックなどの形式的になりがちな誕生祝いは通常していないのですが、佐藤さんには、心からお祝い申し上げたい気持ちです。

そして、その後に具体的なメッセージを書き込んでくれています。
なかにはこういうメッセージもあるので、うれしくなります。

昨年は、たしかメッセージに返信しなかった気がしますが、それも大人げないので、よほどの定型パターンでなければ、今年は返信をさせてもらいました。

しかし、人はなぜ誕生日におめでとうというのか。
それは実はとても簡単なことで、話しかけるきっかけになるからでしょう。
ある友人はこう書いてきました。

佐藤さん、お誕生日、おめでとうございます。多くの人は、何らかのきっかけがないと、言葉をかけにくいので、幾つになっても誕生日があると、そのチャンスとなります。佐藤さんに声かけたい人にも、今日はよい日です。笑顔が増えますように!

そうか、誕生日はその人のためにあるのではなく、他者のためにあるのだ。
そう気づかせてもらいました。

これを聞いたら、節子はきっと笑って言うでしょう。
修にとっては、その時が誕生日だったり、〇〇記念日だったりするから、付き合いきれなかった、と。
私は、誕生日があって贈り物をしたり会食したりするのではなく、贈り物をしたくなったり会食したくなった日が、私には誕生日だったり、〇〇記念日だったりしたのです。

そういう関係の伴侶がいないのが、とても寂しいです。

 

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