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2020/05/26

■人は「いいとこどり」はできません

延び延びになっていた、孫の幼稚園(4月に入園)が始まるそうですが、当面は「分散登園」だそうです。
通園バスではマスクをして会話は禁止、給食時もアクリル板で仕切られるそうです。
幼稚園という初めての集団生活のはじまりのスタイルは、子どもに大きな影響を与えるでしょうが、いささか心配です。
コロナ感染よりも、むしろ私にはそちらのほうが気になります。
人が生きている以上、病気に感染することは正常なことです。それは「支え合い」の一つのスタイルです。

昨日も書きましたが、そして以前から書いていますが、人と距離を取るとか、直接のタッチは避けるとか、マスクに加えてフェースシートをかぶるとか、私にはなじめません。
そういう環境や「生活様式」のなかで育った人間はどうなるのか心配です。
人工的に育成された動植物のような、弱さを感じてしまいます。感染症にもかかりやすくなるでしょう。

先月、古代インダス文明のモヘンジョダロに関する森本哲郎さんの話を書きました。
清潔に整備されたモヘンジョダロは、戦争の痕跡もないまま、突然滅んでしまった。
それは、清潔な都市を完成させるために、邪魔な人間が自ら退場したのではないかと森本さん(正確にはその本に登場する人)は言うのです。
コロナ対策でいつも思い出すのがこの話です。
コロナ感染をなくすためには、人間がいなくなればいいのです。

在宅のテレビ会議で済むのなら、たぶんその仕事は人間でなくてもやれるはずです。
人間は本来、たくさんの病原菌を含む生命体の塊であり、非論理的で感情的な、いろんなものの感染源的な存在です。
人と付き合うといろんなトラブルに巻き込まれますし、身体的な病気や精神的な病までうつされることもある。しかし、それが人間ではないかと思います。

死はできれば避けたいですが、死があってこその生です。
死にたくなければ生まれなければいい。
感染したくなければ、生活をやめればいい。

昨日紹介した本の著者の一条さんは、「死は不幸ではない」と言います。
もし死が不幸ならば、死を避けられない生もまた不幸ではないかというのです。

人は「いいとこどり」はできません。
死や感染も含めて、豊かな人生を生きたいと思います。

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