■節子への挽歌4616:ドア嫌い
節子
昨日は散々な日で、夜にもまた“惨事”がありました。
娘はトイレに入ると鍵をする習慣が昔からあります。
ところが昨夜、そのトイレのカギが壊れ出られなくなったのです。
普通なら外からも開けられる鍵なのですが、外からやっても開かない。
いろいろと試みましたが、どうしようもない。
かなりがんばったのですが、これはもう壊すしかないということになり、ドアをこわしました。
出来れば壊したくなかったので、30分近く奮闘してしまいました。
悪いことは重なるものです。
娘にとっても、私にとっても、昨日は最悪の1日でした。
そんなわけで、今日はトイレのドアがないままです。
もっとも私は、トイレのドアを閉めないのでいつも娘に注意されています。
閉めないのはトイレだけではありません。
寝室もドアを閉めずに寝ています。
よほど寒い時には閉めますが、閉めることはほぼありません。
私は閉鎖空間が好きではないのです。
というか、空間を遮るドアそのものが嫌いなのです。
昨日は最悪の日でしたので、今日はきっと良いことがあるでしょう。
しかし、どう考えても、今日もあまり良いことはありそうもありません。
悪い話は、いくらでも思いつくのですが。
困ったものです。
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