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2020/05/13

■節子への挽歌4599:悪縁でも縁は大事にしよう

節子

フェイスブックに、あるお寺の掲示板に、新型コロナに関して、「悪縁でも縁は大事にしよう」というような言葉が書かれていたと投稿がありました。
その一方で、「コロナとの共生」という言葉を強く否定する投稿もありました。

私は、悪縁でも縁は大事にしようという生き方を目指してきています。
もちろんそれはなかなか難しく、それでどれほどの不快感を味わい、いろんなものを失ったかを思い出せば、そういう生き方からは抜け出したいという気持ちもありますが、生き方はそう簡単には変わりません。

実際には、私はこれまでどんな縁も自分から切ったことはありません。
先方から切られたことはわずかですがありますが、2,3の例外を除き、その後、縁は戻っています。私から戻らせたのではなく、先方から戻ってきたのですが。

その縁が、悪縁か良縁かは簡単にはわかりません。
しかし、どんな縁も、私の人生に無縁であるわけではありません。
であれば、縁を受け入れて、それを活かすかどうかは自分の責任だとも言えます。
せっかくの縁を「悪縁」にしてしまうのは、自らの行為の結果とも言えるでしょう。
そもそも「悪」と「良」はコインの表裏です。

新型コロナウイルスも、縁といっていいのかどうかはわかりませんが、まあ広い意味では「縁」と言っていいでしょう。
であれば、回避するよりも、付き合い方を考えるのがいい。それが私の姿勢です。
しかし、コロナとの付き合い方は難しい。
なかなかうまくいきません。

私の投稿や言動に関して、フェイスブックに「佐藤さんの姿勢(腹のくくり方、空気の読まなさ加減)は素晴らしいと思います。もちろんほめ言葉です」と書いてくれた人がいます。
いささかの過大評価で、私自身は腹もくくっていないし、空気を読まないのではなく、読めないというのが事実なのですが、外からはそういう見方もできるのでしょう。
時々、メールでも「応援しています」というエールが届きます。
まあそういうメールが来ると、なぜか元気が出るのですが、だからとって、何か変わるわけでもない。

新型コロナはいろんなことを気づかせてくれましたが、いろんなものを奪ってもいます。
私にとっては、この2か月は「失われた2か月」のような気がします。
いいかえれば、コロナとの縁を活かせなかったということでもあります。
これからでも遅くはありません。

改めて、この「縁」をきちんと受け止めていこうと思います。
天気がいいせいか、今日はちょっと前向きになれています。

 

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