■節子への挽歌4598:人と人が直接会って交流できないことは社会の死を意味する
2~3日に1通、いまも鈴木さんからはがきが届きます。
今日もまた届きました。
そこに先日、時評編でも紹介した磯野真穂さんのインタビューのことに言及し、(磯野さんは)人と人が直接会って交流できないことは、社会の死を意味すると話していますね、と鈴木さんは書いていました。
あんまりきちんと意識していなかったのですが、もう一度、新聞記事を読み直しました。
たしかにそう話しています。
私がこのところ、元気が出ないのは、まさにこれが理由です。
人と人が直接会って交流できないことは、社会の死でもあるとともに、人の死でもある。
生きるということは、まさに他者と直接会って交流することなのです。
節子と他者の違いは、「直接会って交流できるかどうか」なのです。
なにかとても合点がいきました。
新型コロナを気にして他者と会うのを控える生き方は、やはりどこかで間違っています。
そう思えてきました。
すこし自分の生き方にまた、確信が高まりました。
改めてそのことに気づかせてくれた鈴木さんのはがきツイッターに感謝しなければいけません。
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