■節子への挽歌4590:ソーシャルディスタンスなど「くそくらえ!」
節子
コロナウイルスのおかげで、いろいろなことを考える機会をもらっています。
今まで気づかなかったことにもいろいろと気づくこともあります。
それはいいのですが、おかげで精神的にはかなり疲れてきています。
そのうえ、コロナどころではない話もいろいろあって、かなり精神的には不安定になっているのがよくわかります。
胃がんと闘っている友人が、明日から入院です。
コロナとは全く関係はありませんが、その保証人を頼まれました。
コロナ騒ぎで病院がいささか心配ですが、そんなことは言っていられません。
万一の時には駆けつけるつもりですが、ソーシャルディスタンスなどという風潮は、それこそ「くそくらえ!」です。
友人を裏切ることとコロナ感染とどちらが怖いか。
人間だったら誰でもわかる問題です。
昨今の風潮は私にはまったくばかげています。
自殺者もまた増えるでしょうが、日本政府や行政はその数字も操作するでしょう。
自殺のない社会づくりネットワークを5年ほどやってみて、日本の統計数字のおかしさはよくわかりました。
日本では数字は操作するものとされているのでしょうか。
大型連休明けで東京都の感染者数が大きく減少しています。
これでみんな安心するのですから、数字の改竄も政策的には意味があるのかもしれません。
最近はそう思うようになってきてしまいました。
それはともかく、明日から入院する友人にとっては、コロナはほとんど気になってはいません。
もっと大きな問題を抱えているからです。
私の周りにはそういう人が他にもいます。
世間はコロナコロナと大騒ぎですが、少しはそういう人たちへの気遣いもしてほしいです。
最大の関心事は人によって違います。
節子と闘病生活を一緒にしたおかげで、ほんの少しでしかありませんが、そういうことがわかったので、コロナ一色の世間にはついていけないのです。
コロナによる死者など少ないのに、なぜこうもみんな騒ぐのか、たぶんほとんどの人が、死についてなど考えたこともないのでしょう。
メメント・モリ。
しかし、不死を恐れても、死など恐れる必要はありません。
死は誰の近くにもあるのですから。
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