■コロナ危機を活かす〔8〕振り出しへ戻る
コロナ危機を超えていく先にはいくつかの岐路があるという思いで、7回も書いてきてしまいましたが、どうもどこかで大きな間違いをしてしまっているような気がしてきました。
3つの岐路、「取り合いか分かち合いか」「自由か安全か」「同調か自律か」が適切かどうかというよりも、そもそも「岐路」というとらえ方が間違いではないかという気がしてきたのです。
困ったものです。
3つの岐路は、私の場合、問われたら即答できますし、その方向で、この数十年生きてきています。
取り合いか分かち合いかでは「分かち合い」を、自由か安全かでは「自由」を、同調か自律かでは「自律」を選んで生きてきているつもりです。しかもそれらが深くつながっているというのが、今回、これを書き出した時の思いでした。
しかし、書いているうちに、つながっているのではなく、すべては同じ事なのではないかと思いだしたのです。岐路というよりも、同じ道の裏表ではないか。
一番「岐路」的に見える、取り合いか分かち合いかを考えてみましょう。
理屈っぽく言うと、いずれも2つの世界の関係を言っています。
AとBという2つの世界があって、それぞれに住む人たちが、あるものを取り合うかシェアするかの違いですが、ではAとB、それぞれの世界の内部ではどうでしょうか。
対外的には「取り合う」関係でも、内部では「分かち合う」関係ではないのか、むしろ、内部の「分かち合い」のために外部に対して「取り合う」関係になってしまう。
Aが、個人の場合もありますが、人は一人では生きていけないので、「家族」「仲間」という形で、何らかの「分かち合う関係」は存在するでしょう。
そう考えていくと、「分かち合う」と「取り合う」も選択肢とは言えません。
と、いうようなことに昨日、気づいて、書けなくなってしまいました。
そんなわけで、最初からまた考え直すことにしました。
どうも問題は、「個と全体」の関係かもしれません。
少し頭を整理します。
コロナ危機に関しても、状況がかなり見えてきたような気がします。
私の認識の間違いもわかってきました。
ポストコロナというよりも、すでに変化は起こりだしているようです。
やはり変化は現場から始まるようです。
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コメント
ジャック・アタリ氏が「利己的でありながら利他的にもなれる」=「合理的な利他主義」と言っています。
アダムスミスの「国富論(市民のひとりひとりの利己心が社会を推進する)」と「道徳感情論(人間誰しもが持つという他者への共感が社会の秩序を生む)」という主張を引き合いに出して、
「『パン屋がパンを売る時、パンを買う人もパンに満足し、パン屋も満足する』=『商品を売る為に利他主義になるが自分のためになる』という観点に学べ」と。「金儲けがしたくて商品の質をないがしろにしては商売は長続きしない」「世界的に利他的になる、という考えを理解するのがより難しい」と言っています。
佐藤さんがおっしゃる様に、全く違うもの様に見えていて、実は根っこは同じもなのでしょうか。禅問答みたいですが、善意に裏打ちされていない事は、持続しない、と言っている様に思えます。
佐藤さんのブログに励まされているひとりです。
cf. 『2030年ジャック・アタリの未来予測 ―不確実な世の中をサバイブせよ!(Vivement après-demain (2016))』 プレジデント社 ISBN 978-4833422406
投稿: wataru | 2020/05/02 08:07