■節子への挽歌4611:コロナ禍のおかげ
節子
自宅にいる時間が多くなり、人に会う機会がなくなるとどうしても生活が退屈になります。
最初はテレビを見たり読書をしたりしていましたが、2週間も続くと、いずれも退屈でしかありません。
テレビは今でもコロナ関係の番組は録画して見ていますが、同じことの繰り返しです。
本はなかなか読む気になりません。
書類整理で見つけた懐かしい本も、読み直そうと読みだしても、やはり退屈です。
いかの人間の置かれた状況が意味を持っているかがよくわかります。
人とはあまり会いませんが、連絡はいろいろとあります。
良い話もあれば悪い話もある。
コロナが流行ろうと終息しようと、人に起こることは同じです。
コロナだけが「事件」ではありまません。
最近感ずるのは、このコロナを良いことに、みんな自分の生き方を考え直しているような気がします。
ある友人はテレワークを併用しての週2日勤務だったのが先週は通常勤務に戻ったそうですが、疲れてヘロヘロになったそうです。「よく以前は、ずっと週5日勤務してたなあ」と思うと言ってきました。そんなふうに思っている人は、今、けっこういるみたいですとも書いてありました。
これは働き方だけではないでしょう。
学び方も遊び方も、付き合い方も、これまでとは違った体験によって、これからいろんな変化が出てくるでしょう。それに伴い、仕事のスタイルも変わっていくかもしれません。
本当は「不要」だった活動はなくてもいいことに気づく人もいるでしょう。
私の感覚では、世の中の仕事の半分以上は、不要というよりも、ない方がいい仕事です。
行政の仕事で言えば、どの視点に立つかで変わってきますが、まあほとんどは不要でしょうし、学校の仕事に関しても、無駄なものが多いでしょう。
実際にはみんなそういうことに気づいていたと思いますが、それがなくてもいいのだと体験できたことは大きいでしょう。
最もコロナのために、新たに発生した「無駄な仕事」もたくさんありますので、全体としては良い方向に行くのか悪い方向に行くのかはわかりません。
しかし少なくとも、何かが変わっていく。
立場の違う人たちのせめぎ合いが始まるかもしれませんが、思考の起点が変わることは間違いない。
結果的に隷属からの脱出ができる人が、増えていくだろうと思います。
そして私もまた、いろんな変化を受けています。
そう考えれば、コロナの恩恵は少なくありません。
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