■節子への挽歌4582:5月の愚痴
節子
かなり頭が混乱しています。
頭というよりも、気持ちかもしれません。
家族の問題でいろいろあって、ちょっとめげています。
コロナどころではありません。
そういう状況に自らがあると、コロナの捉え方は全く違ってきます。
コロナで元気になったという人の気持ちもちょっとわかるような気もします。
人は、実に弱いものです。
こんな書き方をすると、また誰かを心配させてしまうかもしれませんが、まあ時々あることですから、心配無用です。
ちょっと書いておきたいなと思っただけなのです。
しかし、そのせいかどうかはわかりませんが、1週間前から書いてきた時評編の「コロナ危機を活かす」を白紙に戻したくなりました。
何やら無意味のことを書き連ねてきたような気がしてしまったのです。
フェイスブックにまで紹介してきたので、今更、なかったことにはできませんが、かなり恥ずかしい気分です。
精神的にどうも安定しません。
困ったものです。
この歳になって、5月病でもないでしょうに。
ところで思いついて、「5月の愚痴」をネットで調べてみました。
5月病をこじらせないために、息抜き、気晴らし、人に頼る、愚痴を言うことは大切だという記事がありました。
また、岡山には「愚痴庵」というのがあることも知りました。
その愚痴庵も、コロナ騒ぎでいまはお休みのようです。
湯島で「愚痴庵」もいいかもしれません。
考えようと思います。
その湯島で、今日は1週間ぶりのサロンです。
気分が変わるかもしれません。
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