■節子への挽歌4606:「自然は沈黙した。うす気味悪い」
節子
今日はさわやかな日になりそうです。
どうも最近、レーチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出すことが多いです。
「自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか」。
この有名な文章が思い出されるのです。
コロナウイルスは、環境破壊するような化学薬品とは無縁のはずですが、どうも両者がつながっているように思えてなりません。
理屈を超えて、両者が同じようなものに思えてくるのはなぜでしょうか。
昨日、高校時代の同級生の細菌学者の益田さんに頼んで、またウイルスをテーマにしたサロンをやってもらいました。
サロン主催者の特権として、私だけが益田さんの話を何回も聞いていますが、聞いているうちにだんだん新型コロナウイルスに親近感を持ってきました。
益田さんは、ウイルスを擬人化することに否定的ですが、やはりウイルスもみんなそれぞれの個性を持った生き物に思えてなりません。
ですから、ウイルスはいのちのない化学薬品とは真反対な存在のはずですが、なぜか最近鳥がいなくなったのは、新型ウイルスの、もしくは新型ウイルス騒ぎのせいなのではないかと思うのです。
実際は、コロナウイルスが人間社会の経済活動を抑制させたおかげで、大気はきれいになり、水もきれいになったと言われています。
たしかに数日前に見た我孫子の空も今までにないきれいな青さでした。
でも、その一方で、地球環境が大きく変化しだしているのではないかという気がしてなりません。
そして、鳥がいなくなった。
この数日、鳥がいなくなったような気がするのです。
実際には、私がたまたまこの数日、鳥に出合っていないだけかもしれませんが、庭の木にせっかく巣作りをした鳥が、なぜか戻って来なくなったことだけは事実です。
それに鳥のさえずりも、間違いなく少ないのです。
カラスもいなくなった。
まあ事実に基づくことではなく、あくまでも私の心象です。
でも、外のあたたかかでやわらかな陽ざしをみると、今日はきっと「いのち」に満ち溢れたいい1日になるでしょう。
鳥も戻ってきてくれるでしょう。
この数日、鳥に出合えなかったのは、私の心身の状況の結果なのでしょう。
外に出なければいけません。
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