■節子への挽歌4610:無駄の多い人生だした
節子
人生を切り替えることにしました。
というと、大げさですが、資料や書籍を切り離すことにしました。
やはり娘が言うように、いま手元にある資料や書籍は、私の人生には意味がありますが、これから読み直すことはないでしょう。
というわけで、まずは雑誌類や資料から廃棄することにしました。
しかし、どれを残すかどうか感上げていると結局は、いつものようにほとんど捨てられなくなりました。
それでジャンルごとに決めることにしました。
そうは言っても一挙には難しいので、とりあえずという感じです。
そう思って整理していくと、なんとまあ無駄な冊子や書籍が多いことか。
雑誌や資料は半分以上は全く読んでいません。
読んでいないのにどうして保管していたのか、といえば、そのテーマに関心があったからですが、しかしあんまり読んだ形跡がないのです。
書籍もそうです。
とりわけシリーズのものは、最初のころのは別にして後半のものはほぼ読んでいない。
そういう書籍や資料、雑誌が書庫を覆っているので、いつも肝心の書籍がなかなか見つからなかったのです。
ビデオテープもまた数十巻出てきました。
どうも収集癖があるのですが、DVDに切り替わった時に、それまでの数百巻は廃棄したはずなので、まだ残っていました。
そのうえ、DVDもたくさん出てきました。
アナログ時代のものですから、画質が粗くて今はもう見る気にもなりません。
今回、みんな破棄することにしましたが、録画する手間も大変だったはずです。
私の人生がいかに無駄が多かったのかがよくわかります。
資料整理をしていて、先に逝ってしまった友人から託された資料も出てきました。
2人とも亡くなるとは思わずに、それまでの記録をなぜか私に渡したのですが、いずれもその後、しばらくして(一人は直後に)亡くなってしまいました。
その後、私は託されたことをすっかり忘れていたのですが、その資料が出てきたのです。
託されたと言っても、具体的に何か頼まれてわけではなく、その活動を記憶しておいてほしいという程度なのですが、それさえも危うく忘れかけていました。
その資料はどうするか。
ちょっと迷ったのですが、迷っているときりがないので、今回は廃棄することにしました。
そんなわけで、今回はかなりの整理になりました。
明日から廃棄しだしますが、だいぶかかりそうです。
みんな処分できたら、第2ステップです。
あまり外に出てはいけないようなものは、家の中で焼却するか細かく裁断しなくてはいけません。
これから3か月くらいはかかりそうです。
その3か月は、たぶん自分の人生の無駄の多さを反省しながら、その無駄な人生に付き合ってくれた節子のことを思い出しながら過ごすことになりそうです。
ちなみに廃棄するのは書類や本だけではありません。
生活に関わるほぼすべてのものです。
部屋もすべて模様替えです。
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