■節子への挽歌4653:人生を考える材料が山のように届きました
節子
胃がん治療に取り組んでいる、独り住まいの友人の調子がよくなさそうです。
コロナ騒ぎもあって、4か月以上、会っていないのですが、電話では連絡し合っていて、一時はだいぶ良くなって、私よりも元気だったのですが、今朝、急にかかってきた電話の声は全くの別人でした。
電話は、良い時には良い情報が、悪い時には悪い情報が増幅されて伝わってきます。
改めて最近のテレコミュニケーションに危険性を感じました。
やはり直接同じ時空間を共有しないとわからない。
今日は万葉集サロンでした。
テーマは「言」と「歌」でしたが、ここでもコミュニケーションが話題になりました。
言葉というロゴスで思いは伝えられない、というとても大きなテーマだったので、私自身、あまり消化できていませんが、言葉の始まりは「パトスの発振」だと思っている私には、とても腑に落ちることがいくつかありました。
ただそれこそロゴスとしてはまとめられなさそうですが、私の中では腑に落ちた気がします。友人の件も、腑に落ちるためにはやはり会いに行かねばいけません。
まあ、他にも同じような状況はあるのですが、彼の場合は、私を頼りにしてくれているので、応じなければいけません。
時々、思いがぐらつくので、今朝また改めて「雨ニモマケズ」を読み直しました。
彼は「南」に住んでいる事に気づきました。
いささか考えすぎですが、最近とても気が萎えているので、ちょっとしたことが心身を揺さぶります。
最近はそれなりに「デクノボウ」的な存在になってきているように思っているのですが、まだまだ周りに振り回されてしまっています。
人との付き合いが多すぎました。
そう言えば、数日前に古い友人からメールと彼の最近の活動記事を取り上げた雑誌の記事が送られてきました。
最近はほとんど会っていませんが、彼は自分をしっかりと生きている人です。
私の会社時代、私が寄稿した新聞記事を読んで訪ねてきたのがきっかけで交流が始まりましたが、私とは違い、テーマを持って生きています。外からみても、当人にとっても社会(他者)にとっても、とても「いい生き方」です。私のように、死んだら何も残らない生き方とは違います。
彼に昔の共通の友人の消息を訊ねてみたら、「会社リタイア後はアート関係の付き合い以外はほとんどしていません」と書いてきました。改めて私自身が選んだ生き方を思い知りました。
私には「意志」と「ビジョン」がなかったのかもしれません。
いろいろと考える材料が、他も含めて、今日はたくさんありました。
いささか疲れてしまった1日でした。
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