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2020/06/19

■節子への挽歌4652:マルチハビテーション

節子

今日はまさに梅雨の1日です。
いよいよリフォームに取り組むことになりました。
と言っても工事開始は9月に入ってからですが、その準備でいまや私の居住空間はぐちゃぐちゃになってきていて、毎日、倉庫のような場所で寝ています。
書類や雑誌の廃棄はまだ続いていますし、ともかく私の居住生活空間を3分の1に縮小する計画です。

生活空間と言えば、最近は我孫子の自宅での寝起きがほとんどですが、かつてはマルチハビテーションを志向していて、私の生活空間も       かなり広かった時期もあります。
今回書類の整理をしていたら、「定住を超えて マルチハビテーションへの招待」という本が出てきました。この本の取材を受けていたことを思いだして、ページをめくったら、私の記事が出てきました。

取材を受けたのは50歳の時のようです。
こんなことを言っています。

「将来、東京には人と交流し合えるサロン風の喫茶店を、そして全国各地には仲間うちで一つの家をシェアできるような生活の場を持ちたい。そして終の住処は、やっぱりコミュニティに馴染みのある地方都市がいいですね」。

残念ながら何一つ実現していません。
読んでみると、当時の状況を思い出します。
当時は、湯島のマンションと湯河原のマンションと我孫子の自宅の3か所を拠点にしていたようですが、地方にもかなり出かけていたので、まあそれなりのマルチハビテーションだったようです。

こんなことも言っています。
「私は一つの組織、家、テーマに執着しないような生き方をしたい。特にさまざまなテーマと関わっていきたいのです。それがマルチハビテーションという生き方の本当の意味だと考えています」。
私にとってのマルチハビテーションは、当時からマルチテーマライフだったのですが、これはどうやら実現しているようです。

しかし、私のマルチハビテーション計画は、節子と一緒が前提でした。その前提が崩れたために、いまのマルチハビテーションは全く異質なものになってきています。
あえて言えば、此岸と彼岸のマルチハビテーションです。
これはなかなかわかってはもらえないでしょうが。

生活を整理していると、過去に出合うものですが、それは同時に未来に出合うことでもあることがよくわかります。


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