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2020/06/06

■節子への挽歌4634:畑がまた生命に覆われてしまっています

節子

昨日、しばらく行っていなかった畑に立ち寄りました。
もう2週間近く放置しっぱなしでした。
野草が一面に繁っていて、せっかく植えておいたかぼちゃの姿が見つかりません。
フキやミョウガも野草に埋没しています。
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花壇の部分もみんな野草に負けてしまい、意図した花は一本も見当たりません。
植え替えたアオイはなんとか2~3本が花を咲かせていましたが、これまた野草には勝てていません。
唯一元気なのは、アンティチョークでしょうか。

まあとにかく悲惨な状況が再現しています。
前回、救出していたイチゴは34本を残し、また野草に敗退しています。
4~5粒食べましたが、収穫が遅れて朽ちていたイチゴもありました。

何回も繰り返し経験していますが、ともかく野草の成長力はすごいです。1日、手を抜くと、23日は後退し、1週間手を抜くと意欲が減退するのですが、2週間手を抜いていたので、野菜が死に絶えそうになっているのです。

今年は何かとあったので、畑はやめるつもりだったのが、カボチャをもらったので、もう少しやろうかと思ったのが間違いでした。
畑は中途半端な気持ちでやってはいけないのです。
散歩の途中で寄ったので昨日は支度もしておらす、カボチャを一苗だけ救出しただけでしたが、この土日も行けないので、来週は畑週間にしようと思います。
天気がよければ、の話ですが。

畑をやっているのは、自然や生命から教えられることが多いからです。それとやはり節子とのつながりを感じられるからです。
収穫をしようと思えば、きちんと畑通いをしなければいけませんので、私向きではありません。娘のユカからよく言われますが、私は「思いつき」で生きているタイプなので、計画性が全くないのです。思いついたらやりたくなり、続くこともあれば、続かないこともある。困ったものですが、どうもそういう生き方から抜け出せません。

昨日立ち寄った畑のすごさは、生命力の強い働きかけです。しかし残される生命と消される生命があるという、現実の厳しさも突きつけられるのです。
それに気づくと、私は自分勝手に野草を刈り取っていいのかと思うこともあります。
畑に行くとたくさんの生命と話すことになりますが、こちらの生命力が萎えているとそこに行くのには勇気が必要なのです。行ってしまえば、さまざまな生命から元気をもらえるのですが、行くまでが、私の場合は大変なのです。

それが怠惰のせいなのか感受性のためなのか、よくわかりませんが。

今日は土曜サロン。
だれが来るでしょうか。
電車は空いているでしょうか。
そして私の元気は戻るでしょうか。

 

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