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2020/06/08

■節子への挽歌4636:梅雨空のように気が晴れません

節子

どうも気が晴れないのですが、これはもしかしたらコロナ騒ぎのせいかもしれません。
コロナ感染症が不安だとか、外出自粛とか、そういう話ではありません。
世の中がますますお金まみれになってきていることへの嫌悪感です。
そして注意しないと自分さえもが、その嫌悪の対象になりかねないということです。
事実、10万円の給付金は申請書を出してしまいました。
これでもう昔に戻ってしまったような気がして、気が晴れません。

それに加えて、コロナとは直接関係のない金銭問題までおこってしまっています。
他にも心配事はいろいろとあるのですが、お金が絡んだとたんに私は気が重くなり、いつも判断を間違ってしまうのです。
困ったものです。

でもまあ悪いことばかりでもありません。
昨日はちょっと気になっていた若者とゆっくり話せました。

話していて、私が会社を辞めた時のことを思い出しました。
安住していた世界から抜ける体験は、たぶん当事者にしかわからないでしょう。
当時は、当事者にさえわからないかもしれません。

私の場合は、ともかく楽しくて仕方がなかった。
失うものよりも得るものが多いからです。
しかし、そうした状況はたぶん50歳くらいまでかもしれません。
私の場合は、47歳で世界を変えましたので、まあぎりぎり間に合った。
いまはとても自分の世界を変える気力はありません。
それどころか、いまの自分の世界の先がいささかあやうくさえなっている。
この30年何をやっていたのかと思うと、やはり気が晴れない。

しかし、40代の若者と話していて、私の40代を少しだけ思い出しました。
生まれた環境も育った環境も、家族関係も全くと言っていいほど違うでしょう。
しかし、生き方のどこかに似ているところがある。
今の時点だけを捉えれば、たぶん生き方は全くと言っていいほど違うのですが、にもかかわらず、どこかにつながるものを感ずる。
私も当初、いまの彼のようだったのでしょうか。

若い世代の人と話していると、忘れていたことを気づかせてもらえます。
しかし、同時に、何も変わっていない自分にも気づかされてしまう。
もしかしたら、それがまた気を重くしてしまっているのかもしれません。

今日は、私の気持ちを象徴しているような、梅雨空です。

 

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