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2020/06/25

■節子への挽歌4660:お布施を受けた1日

節子

一昨日のことですが、「仲直り活動」に取り組みたいという人が相談に来ました。
以前から相談は受けていて、簡単ではない複雑な案件は私にさせてくれないかと頼んでいました。「仲直り」はすべてのことの基本です。戦争も環境破壊も、生活格差もいじめやヘイトスピーチも、その解決のための万能薬は「仲直り」です。
ですから私もその活動に共感しているのです。

ところがその人が、まったく別件で、ある人を説得できなくて困っているという話をしたので、間をつなごうかと軽い気持ちで言ってしまいました。
そうしたらその人は正式に頼むといって、前金を財布から出し、裸で悪いのですが、お願いしますというのです。
いささか面喰いましたが、私への生活救済給付金かなあとつい勘ぐってしまいました。
うまくいかなくても返却しなくていいと、その人は言うのです。

間を置くこともなく、すぐに財布からお金を出して私の前に置くとは、その鮮やかさに感動しました。
そう言えば、以前も同じようなことが何回かありましたが、いつも封筒に入っていたので、返却できました。
いまテレビでは国会議員が選挙以来で数十万円入った封筒を手渡しした事件が盛んに報じられていますが、封筒だと返却しやすいですが、裸のお金は難しいです。
食事を一緒にして、誰が払うかでお金を押し返し合うのは、私は好きではありません。
それと同じで、目の前におかれたお札には手が行かないので、返しようもない。

私の性分として、お金をもらってももらわなくてもやることは同じですが、もらうと気分が変わってもやらなければいけなくなるので、いつもならもらわないのですが、今回は結局、受け取ってしまいました。ちょうど午後からある人の見舞いに行くのですが、手持ちのお金がなかったので、それに使えそうだとつい思ってしまったこともあります。
困ったものです。

しかし、その人のあまりの見事さにのせられてしまったわけです。
言葉よりも行動。
見習わなければいけません。

これは一昨日のことですが、結局、そのお金は見舞いには使わずに、逆に見舞いに行った友人からは、その金額よりも高額なものをもらってしまいました。
これも遠慮せずにもらってしまいました。
私の生活経済がいま困窮状況にあるのが見えているのでしょうか。

一応、見せないようにしているつもりなのですが、身なりのみすぼらしさが無心のメッセージになっているのでしょうか。
まあ嘘はつけないものです。

 

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