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2020/06/24

■第8回万葉集サロン「歌から会話へ 東歌を中心に作者不明歌を読む」報告

升田さんの万葉集サロンも、いよいよシーズン2に入りました。
今回から東歌を中心に作者不明歌を読んでいきます。
テーマは「歌から会話へ」です。

案内文に書いた升田さんのメッセージの一部をもう一度紹介させてもらいます。
これまでのシーズン1のまとめにもなっていますので。

「た」「な」そして「わ」。ほとんどが文字を持たない人々であった古代。
自分の心、思いを伝え表す方法は音声による言語(あるいは絵などの造形物)しかない。言語行為は善きにつけ(祝・愛情表現など)悪しきにつけ(呪・戯言など)言葉を信頼しての行為であるから、「言霊」という言い方も為された。発した言葉は自分に戻って来ることがあるから、言葉は常に畏怖の対象でもあった。
文字を持つようになってから、人々の言語感や言語意識が変わってゆく。
人言()が「うるさい・いやだ」と嫌悪しながらも上手く受容し、「た」とゆるやかに共生する庶民たち。「うるさい」を慣用句化しそれに依拠した形で自己を主張する知識人たち。
「人間と対峙する言葉」が「生き物」のように柔軟に変容するところに、社会や文化の進展があるのかも知れない。そのありようが見られるのも万葉集の面白さの一つであろう。

というわけで、今回はその序論として、東歌を実際に読んで、東歌とこれまで読んできた都の万葉人の歌との微妙な違いを味わってみました。

最初に升田さんが選んだのが次の歌でした。

多摩川に 晒す手作り さらさらに 何そこの児の ここだかなしき(巻14・3373

前半3句が「序」、後半2句が「言」と升田さんは説明してくれました。
「序」には地名と情景が含まれ、「言」には思いが込められる。
ふつう考えると、「言」のほうに意味があるように思いがちですが、増田さんは反対だというのです。

升田さんの解説を聴きましょう。

東歌は、古代の「言」観を基層としながら感情を表出する。この形成過程で、いわゆる「序詞」と称されている部分は修辞としてではなく、歌の中枢となる。そしてこの部分を今「歌」と呼び、気持ちを直接表出している言葉を「言」と呼んで、「言」と「歌」とが融即して一首をなすありようを見ている。恋の相手や共同体である「た」とのコミュニケーションの手段としての「歌」。として、われわれも「た」として東歌を感じたい。

「言」と「歌」。ちょっと混乱しそうですが、直截的な言葉よりも、情景によってこそ、思いは伝わるというのです。
言葉(ロゴス)で伝わることの少なさを日頃痛感している私としては、情景(イメージ)を通してのコミュニケーションのほうが効果的だという指摘にはとても納得できました。
情景には、たとえば「さらさら」という音まであって、それが世界を広げ深めてもくれます。

他の歌もいくつか読みながら、古代人の「言」観、さらには掛詞や枕詞、言霊、「言」への不信感なども話題になりました。

言霊とコロナウイルスというような話も含めて、すこし横道にも入りましたが、「言」は「事」にも通じ、「物」「者」ともつながっていくのではないかという問題も参加者から出されました。こうなるとフーコーの世界(「言葉と物」)にもつながってしまうとふと思いましたが、そんなふうに話題は広がり、用意してくれた東歌の大部分は次回以降になりました。

升田さんは、サロンの後に、こう書いてきてくれました。

問題、課題は山積しており、文学の難しさにも直面するが、参加してくださる方々から暗示や示唆、知識をいただきながら考える場は楽しい。

そして、大きなテーマに陥っているので、東歌をあと何回か読む予定です。とも伝えてきました。
というわけで、このテーマは次回(8月15日の予定)につづきます。

内容がだんだん深まってきて、報告が難しくなりました。
私が報告をまとめると独りよがりになってしまいがちですので、興味のある方はぜひ直接参加してください。報告とはたぶん違うことを感じるのではないかと思います。
そんなわけで、次回から報告は思い切り簡単にさせてもらおうと思います。

Manyou8

 

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