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2020/06/18

■節子への挽歌4651:「それっておかしいでしょう」

節子

昔、テレビに話しかける人が話題になったことがあります。
今日、ユカから、昔はお父さんはテレビに話しかけるようなことはなかったのに、最近、よく話しかけているね、と言われました。

よく話しかける言葉は、「それっておかしいでしょう」だそうです。
たしかに言われてみれば、よく言っています。
独り言ではなく、ユカと一緒にテレビを見ている時、なんとなくユカに話しかけているようです。
多くの場合、ニュースや報道番組を見ての反応ですが、そればかりではないようです。
ともかく「おかしいこと」が満ち溢れている。

しかし、もしかしたら、おかしいのは私なのかもしれません。
ユカからは、私の方がおかしい時もあるとも言われました。
たとえば、コロナ防止策に関しては、私の言い方があまりに楽観的だというのです。

おかしいかどうかは、絶対的な基準があるわけではありません。
社会の多くの人に違和感がなければ、「おかしい」ことにはならないでしょう。
みんなが王様は裸ではないというのであれば、王様は裸ではないのです。
テレビで報道されているようなことや、レギュラー・コメンテーターの発言は、たぶん「おかしくはない」から続いているのでしょうから。

私の生活信条のひとつは、おかしいことはおかしいということです。
この点は、節子と同じでした。
おかしいことをおかしいと言わなければ、それを認めたことになります。
節子もそれができない人でした。

もっとも私から見て、節子が間違っているようなこともなかったわけではありません。
同じようにまた、私もたぶん時に間違っているのでしょう。
しかし、たとえそうだとしても、その時に「おかしい」と思ったら「おかしい」というのが私たちの共通点でした。

節子がいなくなった後、おかしいと思ってもおかしいという相手がいなくなってしまい、そのためユカに同意を得るように、「それっておかしいでしょう」と口にしているのかもしれません。
ユカにとっては迷惑な話かもしれません。
関心事も判断基準も違うのですから。

やはり伴侶と親子は、同じ家族でも違う存在です。
世界の見方が、やはり違うのです。
世界を共にする伴侶がいなくなると、人はどんどん独りよがりになるのかもしれません。

 

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