■コロナ通れば道理引っ込む
昨日、闘病中の友人に会いに行きました。
彼は靴屋さんでお店をやっていますが、独り暮らしの高齢者です。
そのお店に行ったのですが、お店で1時間以上話していました。
しかし、コロナの話も給付金の話もほとんど出ませんでした。
彼にはほとんど関心のないことだからです。
コロナよりも、実際に抱えているいまの病気の方のリスクが現実的ですし、お店を持続させる給付金のような「お上の施し」にはまったく関心のない生き方をしてきた人です。
評判の高い靴職人の父親の家業であるお店を手伝い、継承し、それを今なお続けています。
しかし時代の変化の中で、お店を継ぐ人もなく、彼と共にお店は消滅するでしょう。
彼の使命は、いま在庫している商品を出来るだけ廃棄せずに使ってもらうことです。
それでいまもお店をやっているのですが、お店を維持していくためには新たな仕入れも必要ですから、困ったことに実際には商品は減らないのです。
給付金にはまったく関心がないようです。
世間はコロナとその対策の話ばかりですが、こういう人もいるのです。
いやもしかしたら、こういう人の方が多いのではないか。たくさんの不安と苦労を持て余して、「コロナ騒ぎ」に逃げ込んでいる人もいるのではないか。
お酒やギャンブルに逃げたくなる人もいるでしょう。皮肉なことに、「コロナ」はそうした「逃げ場」を非難し、いまや「逃げ場」の頂点に立ってしまった。そんな気もします。
「コロナ通れば道理引っ込む」の社会になってしまいました。
問題は、「コロナ」のおかげで、何か大切なものがまた見えなくなってしまったことです。
世間は「コロナ」で覆われてしまった。
「コロナ」の禍は、死と同じように、一見、すべての人にとって平等に見えますが、そんなことはないでしょう。そうしたことも含めて、コロナは私には呪わしい人災です。
花粉症でマスクをする人が増えていましたが、いまやコロナでほぼ全員がマスクをするようになった。花粉症も人災だと思いますが、コロナはその延長上にあるとも言えます。
花粉症と同じく、対症療法しかみんな考えずに、それを経済成長の材料にしてしまっているようにも感じます。
マスクをしている人たちを見ると、病んだ人に見えます。私自身、マスクをしていると自分が病んでいるように感じます。
ほとんどの人が感染していないと言われながら、マスクが社会を覆ってしまった。どう考えても私には理解できませんが、マスクやソーシャルディスタンスが新しいモラルと言われる。社会が病んでいるとしか思えない。
病んだ社会に生きるには、健康であってはいけないのかもしれません。
長生きしすぎてしまった。
困ったものです。
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