■節子への挽歌4665:うなぎのかば焼きのにおいが鼻から離れません
節子
今日は朝早くから畑に行って一汗かくという出だしでした。
昨日につづいて、今日もいい1日になるはずだったのですが、最後に会った人のおかげで、疲れた1日になりました。
しかも、その人が喫茶店ではなく、なぜかうなぎ屋に入ったので、てっきりうなぎをご馳走してくれると思ったのですが、話の途中でちょっとトラブルがあり私が席を立ちたくなってしまいました。
そのためうなぎのいい匂いを吸い込んだだけで、うなぎは食べられませんでした。
いまもまだうなぎのにおいが鼻に残っています。
話の内容はさすがに書くわけにはいきませんが、たぶんその人も孤独なのです。
お金などあっても本当に意味がないなあと思いますが、どうしてみんなもっと生きることに自信を持たないのでしょうか。
自信を持てば、他者に寛容になれますし、生きる苦労も激減します。
まあうなぎは食べられないかもしれませんが、
食べ損なたうな重がどうも頭から離れません。
なにしろ蒲焼の煙が充満していたところに1時間もいたのに、さてそろそろ頼もうかという時に席を立ってしまったのは失敗でした。
せめてうな重を食べてから、怒りを表明すべきでした。
しかし、うな重を食べられなかったことへの怒りが大きくなってきて、肝心の言い争った内容はどうでもいい感じになってきました。
怒りの矛先を変えるヒントがどうもここにあるようです。
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