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2020/06/29

■節子への挽歌4667:ボーっと過ごしています

節子

今日もまた山本太郎さんのスピーチを聴いていました。
もう何回も聴いているのですが、それ以上に当然彼は話しています。
言い換えれば、彼の話を一番よく聴いているのは山本太郎です。
これだけ繰り返し聞いていると心身と一体化するでしょうから。
彼の話していることは彼によって実行されるようになるでしょう。

そう思いますが、同じことを繰り返し話すのは山本太郎さんに限らず、他の立候補者も同じでしょう。
しかし、なぜか当選すると選挙期間に話していたことは忘れられてしまう。
山本太郎さんもそうなるでしょうか。
たぶんそうならないでしょう。
その違いはなんなのか。

なぜ夫婦は似たものになるのか。
それも生活を共にしているうちに世界をシェアしていくからでしょう。
山本太郎さんの話を聞きながらそんなことを考えていました。
そして生活をシェアできる伴侶がいないことの寂しさを改めて感じました。

しかし、同じ夫婦と言っても、離婚したり仲違いしたちしてしまうことがあるのはなぜでしょうか。たぶん共稼ぎが典型的なように、それぞれが自分の世界を持ってしまうからかもしれません。
生活をシェアしない夫婦や家族が増えてきている時代になってしまうと、似た者夫婦は、それぞれの世界を卒業した後の、老後でなければ育たないのかもしれません。
社会のあり様は変わってしまった。

いま節子が元気だったら、私の生活はどうなっていたでしょうか。
山本太郎さんの演説をボーっと聞きながらそんなことを考えていました。

今日は梅雨の合間あの晴れ間です。
この土日はあまりにいろんなことがあって、精神的にも肉体的にも疲れ切ってしまいました。それで今日は、在宅でボーっと過ごしています。
元気だったら、昨年1日だけで終わった相馬霊場めぐりの続きに出かければよかったです。ちょうど昨日友人が地図を送ってきてくれました。

昨年は準備を全くせずに思いついて早朝に出かけましたが、今回はきちんと地図を持っていこうと思っていますが、やはり思いついて、準備せずに出かけるのがいいかもしれません。
お遍路さんに行き倒れがつきものでしょうから、その可能性も残しておかないと私らしくはありません。
今週はどうも雨続きのようなので、来週になりそうですが、中途半端な準備をしておかねばいけません。

まあそんなこんなで、まったく意味のない怠惰な時間を過ごしています。
困ったものです。

 

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