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2020/06/11

■お天道様の試練

早速、自分が試されているようなことが起こりました。

夕食を食べようとテーブルに着いた途端に、番号に覚えのない人から携帯電話が入りました。
女性の声でした。前に自殺のことで湯島に相談に行ったことがあります、というのが第一声でした。まさにいま精一杯といった状況を感じました。

少し話をして、まずはお名前を教えてくださいと、問いかけました。
名前を教えてもらって、話をしているうちに少しずつ思い出しました。たぶん4,5年前に友人が連れてきてくれた人です。その時はむしろ、自殺防止の活動を手伝いたいというような話だった気がします。
実際には彼女自身も問題を抱えていたようです。いろんな人に相談しているようですが、どうも八方ふさがりのようで、ちょっと精神的に危うくなっているようです。

ゆっくりと話を聞かせてもらいました。
少しずつ落ち着いてきたようなので、湯島に出て来られますかと訊いたら今は無理だというのです。コロナのせいかと思ったら、まったく別の理由でした。
彼女が陥っている状況がそれでまた少しわかりました。
コロナウイルス感染症などは彼女にとっては大きな問題ではないのです。

こうした状況にあるのは、彼女だけではありません。
私の身近にも同じような人は何人かいます。
そういう人にとっては(私もそれに近いですが)、コロナは有閑マダムの話題のように見えているかもしれません。
もっと大きな問題があるのに、世間はコロナコロナばかりです。
そういう風潮に私はいまかなり不機嫌です。

さて私にできることはあるのか。
たとえ自分が精一杯でも、見つけなければいけません。

今朝、読んだ知人のメールに返信しておいたのですが、それが早速試されているような気がします。
お天道様はなかなか見逃してはくれないようです。

 

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