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2020/06/05

■無意味の議論をやめて健やかに生きたい

新型コロナウイルス感染症に関しては、相変わらず「数字の世界」での議論が盛んですが、その数字に対する信頼感がどうも失われているようです。
感染者の発表数字への不信感も広がっています。

しかし、そうした数字のほかに、事実を確認する術がないので、信頼はしていないものの、その数字に影響されてしまっているわけです。
政府や行政で行われている検討内容も、議事録さえないと言われて、手も出せないのが現実です。
もちろん議事録も録音データもあるでしょうが、政府が「ない」といえば無くなるのがいまの日本の状況です。
中国や北朝鮮となんら変わらない状況ですが、なぜかみんな中国や北朝鮮は非難しても自分の国は特別視しています。
たぶん北朝鮮の国民も同じなのでしょう。

昨今のコロナ報道には、肝心な健康問題が二の次になっているような気がします。
毎日、変化のない同じ話が繰り返されています。

そもそも「健康か経済か」という捉え方自体がおかしいですが、経済はそもそも「経世済民」といわれるように、健康な生活のためにこそあるのです。
コロナだけが病気ではありませんし、人との接触を避ける生き方などつづくかないでしょう。「新しい生活様式」などと本気で語っている人がいるとしたら、そこにこそ、現在の状況が象徴されていると思います。
それに人生には病気はつきものですし、コロナだけが怖い病気ではありません。
マスクをすればいいという話でもないでしょう。

人生にはいつも「危機」が伴っている。
その事実から逃げる生き方よりも、むしろその事実を踏まえた生き方を、私は選びたいと思います。
もういい加減、コロナ感染症の数字遊びを止めて、生きることに目を向けたい。

今日は天気がいいので、マスクなしに出かけようと思います。
もちろん電車には乗らず、店舗にも入らずに、ですが。

 

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