■節子への挽歌4641:精いっぱいだと状況が見えなくなる
節子
高校時代の同期生のメーリングリストに、同じクラスだったことのあるKさんが投稿していました。
「あなたは精一杯の人ですか」と問いかけた投稿です。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2020/06/post-74f636.html
今日は、その投稿がずっと気になっていました。
ところが、夕方、番号に覚えのない人から電話が入りました。
女性の声でした。
前に自殺のことで湯島に相談に行ったことがあります、というのが第一声でした。
まさにいま精一杯といった状況を感じました。
少し話をして、まずはお名前を教えてくださいと、問いかけました。
名前を教えてもらって、話をしているうちに少しずつ思い出しました。
4-5年前になるでしょうが、友人が連れてきたのです。
一度だけお会いしたのですが、その時に名刺を渡していたようです。
それを思い出して電話してきたのですが、私に電話するということは結構追い込まれているのかもしれません。
いろいろと話しましたが、問題の解決策もほぼわかっているようです。
しかしそれができない。
家族がいるからです。
家族というのは、いい時はいいですが、時に人生を邪魔する存在にもなりうるのです。
聞けば父親と同居しているとのこと。
しかも父親は私と同じ年齢です。
ゆっくりと話を聞かせてもらいました。
そして私の意見を話しましたが、私のいうことはおそらく彼女はすべてわかっていたことでしょう。
わかっていても動き出せない。
動かないから相談に乗ってくれていた人たちとの関係もうまくいかなくなっていく。
そこでまたほかの人に相談する。
しかし肝心の問題を変えられないので、状況は繰り返されるだけで。
たぶんそうやって彼女はいろんな人に相談してきたのでしょう。
世間にはこういう人がたくさんいます。
電話で話していて、少しずつ落ち着いてきたようです。
湯島に出て来られますかと訊いたら今は無理だというのです。
コロナのせいかと思ったら、まったく別の理由でした。
彼女が陥っている状況がそれでまた少しわかりました。
コロナウイルス感染症などは彼らにとっては大きな問題ではないのです。
もっと大きな問題があるのに、世間はコロナコロナばかりです。
こうした状況にあるのは、彼女だけではありません。
私には、コロナは有閑マダムの話題のように聞こえて仕方がありません。
さて私にできることはあるのか。
たとえ自分が精いっぱいでも、見つけなければいけません。
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