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2020/06/08

■節子への挽歌4637:昔の手紙が出てきました

節子

家庭内遺跡発掘作業はまだつづいています。
次々と発見があります。

今日出てきたのは、1015年ほどまえの手紙のファイルです。
私は手紙類はあまり残さないタイプなのですが、なぜか丁寧にファイルされた手紙が20通ほど出てきました。
多くは、あまりお付き合いのない方からの、手書きに手紙です。
名前にうっすらと記憶のある人もいますが、どうしても思い出せない名前もあります。
なかには署名のない手紙もあります。

きれいな字で書かれた長い手紙がありました。
最後に書かれた名前に最初心当たりはありませんでしたが、手紙を読んで、誰かがわかりました。
私は一度もお会いしたことはないのですが、文面から友人の奥様だとわかりました。

友人の名前は藤原さんです。
私が会社時代に知り合った友人ですが、不思議な付き合いでした。
私が勤務していた会社と同業の会社の経営戦略スタッフでしたが、その関係もあって、一緒によく議論もさせてもらいました。

彼は私よりも少しだけ若かったのですが、眼光厳しく言動も峻厳な野武士のような人物で、なよなよした私とは全く対照的でしたが、お互いに心が通じ合ったところがりました。打算など全くない生一本の仁義の人でした。当時はそういう人がまだ少なからずいました。

私は会社から脱落しましたが、彼は社長になりました。会社を辞めた後、交流はなくなったはずですが、なぜか付き合いはつづいていて、たぶん私が大阪に行ったときに彼の会社に立ち寄らせてもらったのが最後だったと思います。
その時は、まだ社長になる前だったような気がしますが、なぜか私を工場に連れて行って自らが案内してくれたような気がします。
会社時代は、競合会社だったたため、工場を見せてもらったことはないのですが、私が工場や現場が大好きなのを彼は覚えていてくれたのです。

その藤原さんの訃報が届いたのは、節子を見送った1年後でした。
突然の訃報でしたが、彼らしいと思いました。
彼はいつも生命をかけて真剣に生きていましたらから。彼にとって社長職は生命を犠牲にしても会社を守る役目だと考えていたことは間違いありません。
今日、読み直すことになった奥様からの手紙は、私からの手紙の返事でした。

一部をここに残させてもらおうと思います。

佐藤様には大変お世話様になりましたこと、ご一緒に楽しく仕事をさせていただきましたこと、主人はいつもありがたいと申しておりました。
主人こと、肺の治療をしました後、昨年の秋ごろより、呼吸が苦しくなっておりました。まわりの方々にご心配をかけないようにと頑張っておりましたが、今年の夏、体調をくずしてしまいました。
今は主人が亡くなったことを受け入れたくなく、何年経ようとも無理なようでございます。
大事な御奥様を亡くされ佐藤様がどんなにお辛くお悲しみが深いか、切々と伝わってまいります。
本当に大事な人を失うということは、自分自身を失ってしまうことなのですね。
佐藤様からいただきました励ましのお言葉を思いだしつつ、日々を過ごしてまいりたく存じます。本当にありがとうございます。

当時まだ、私自身がおかしな状況でしたので、この手紙に返信したかどうかも記憶にありません。
この手紙からもう10年以上が経ちました。どうされているでしょうか。

 

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