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2020/06/07

■節子への挽歌4635:不忍池の周りは以前に戻ってきました

節子

昨日のサロンは参加者は4人と少なかったのですが、議論はにぎやかでした。
コロナが収まった後、社会はどうなるのかというのが主な話でした。
社会は変わるのか、私は変わってほしいと思っていますが、話を聞いているとやはりかなり難しそうです。
変わるだろうと言っている人たちでさえ、その発想の根底に、いまの社会を創りだしたパラダイムが根強く残っているからです。
かくいう私もまた例外ではありません。
いささか昨日は自分に失望しました。
まだまだいやしい自分がいるのです。

昨日の参加者の一人が、「佐藤さんも霞を食べてるわけではないようで安心した」と言いましたが、できるならば霞さえも食べずに生きたいものです。
そう言えば、昨日も鈴木さんがおはぎを持ってきてくれました。
昨日の夕食はおはぎになりました。

それはともかく、サロンが終わった後、久しぶりに上野駅から帰りました。
不忍池の周りは、かなり人が戻っていました。
行き場のなさそうな人たちが、缶ビールで酒盛りもしていました。
私よりももう少しみなりの汚れた人が死んだように寝転んでいました。
池いっぱいに広がっているハスをスマホで撮っている人もいました。
人はなぜ写真を撮るのか、とまたいつもの疑問が浮かびました。
自転車もかなり増えていました。
ここにはまだ以前の雰囲気が残っています。
虎の門ヒルズ駅が今日できたようですが、あのあたりのようには様変わってはいない。
まだ人間を感じて、安心します。

上野公園も閉鎖が解かれていました。
歩いてみようと思っていたのですが、なぜか急に疲れがどっと出てきて、そのまま駅に行きました。
駅はまだ空いていましたが、お店はほぼ開いていたように思います。
ここも普段が戻ってきた。
しかしお店に寄ることもなく、誰とも話すこともなく、電車に乗って帰宅しました。
隣席はずっと空いていました。

さていま直面している問題をどう乗り越えるか。
帰宅して、サロンで聞いたサイトを開いてみようかなどとまた邪念がよぎりましたが、ここで戻っては元の木阿弥だと思い直しました。
はやくお金のない世界が来るといいです。
コロナ禍は、さらに格差を広げ、人々を分断していくと思えてきました。

今朝はひばりがにぎやかです。

 

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