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2020/06/28

■節子への挽歌4666:贈り物の効用

節子

帰宅したらサクランボが届いていました。
名前を見たら意外な人からでした。
むしろ私の方がお世話になっているのですが、しかしここは素直にいただくことにしました。その方の気持ちがじんわりと伝わってきます。言葉を超えた気持ちが、です。
「贈り物の効用」を改めて実感しました。

世上では、選挙のための国会議員の買収行為が話題になっていますが、もし仮に私がお金を贈与された当事者だったら、間違いなくお金をくれた人への反対者になるでしょう。
お金は返済し、その事実を公開し、その人との付き合いを断ち切ります。
「贈与」にはそういう対応策もあるはずです。

一方で、今回のような贈与は、その人の本音や生き方に気づかせてくれます。
その人も、気持ちを満足させてくださっているでしょう。
どうやって気持ちを表明すればいいかは、難しい課題ですが、贈与はいろんな意味で有効な手段かもしれません。

私はどちらかと言えば、贈与するよりも贈与されることが多いような気がします。
それに甘んじているわけではありませんが、素直にもらってしまうので、私には何かを贈与しやすいのかもしれません。こんな言い方をすると誤解されそうですが。

今日もいろんな貰い物をしました。
朝、湯島でミーティングがあったのですが、ひとりの人が差し入れだと言ってお菓子をくれました。
そのお菓子は、午後のサロンに出したので、結局私は食べ損なってしまいましたが、サロンに来た人からはランチのおにぎりとケーキなどをもらいました。
私は気づきませんでしたが、サロン用のお菓子を持ってきてくれた人もいたようです。
さらに孫にと野菜とイチゴをもらいました。

帰宅したら、もう一つ貰い物が届いていました。
近くの友人にパソコンの修理をお願いしていたのですが、修理を終えたパソコンに、私が欲しがっていたコネクターなどが2つも付いていました。
普通は修理してもらった私がお礼しなければいけないのですが、逆に私が贈与を受けてしまったわけです。
感謝しなければいけませんが、感謝を形にするのは私はどうも苦手なのです。

「贈与」できる人にならなければといつも思っているのですが、「贈与」するということはそう簡単ではありません。気がつけば、いつも贈与される側になってしまっている。
もちろん贈与は物だけでありません。
むしろ物の贈与よりも、形のないものの贈与のほうが多いかもしれません。
そうしたたくさんの善意に、私は支えられているように思います。

贈与してくれるのは、何も人に限ってはいません。
自然からの贈与も時々実感しますし、お天道様にはいつも感謝しています。
もちろん時には受け取りたくない「贈与」もあります。
しかし、最近、なんとか「贈与」されることにはだいぶ慣れてきました。

サクランボは美味しかったです。
しかし、それ以上に、送り主の気持ちはうれしかったです。

 

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