■節子への挽歌4631:和室がなくなります
節子
30度を超える夏のような暑い一日でした。
相変わらず外出時のマスクはルールになっていますので、この夏はコロナウイルス感染症はともかく、病気になる人は増えそうです。死者も減るでしょう。全くコロナ対策は間違っているとしか思えません。
私はマスクが嫌いなので外出しないようにしていますが、今日は午前と午後、2回も外出しました。
いずれもマスクをしてです。
午後は来客もありましたが、これはマスクなしで対応。
娘も私も、コロナよりも病を気にしています。
今日の午前中の外出はリフォームの相談です。
わが家の和室を洋室にすることにしました。
和室は節子がこだわっていたところで、わが家の文化にはあまりなじみがない床の間もつくりました。
それもちょっとこだわっていたようです。
節子お気に入りの見えないこだわりが込められていました。
そこをこわすことになったのです。
節子が嘆くことでしょう。
今回リフォームすることになって、いろんなところに節子のこだわりがあることを知りました。こだわって建てたにもかかわらず、節子はその家を十分には楽しまないまま、病気になってしまいました。
結局、和室は節子の病室になりました。
結果的に見れば、最後を暮す家としては、不便はなかったように思います。
それは大きな救いです。
しかし、元気であれば、この家には節子の友人たちがもっと遊びに来たことでしょう。
私たちも、老後の豊かな暮らしの場にできたはずです。
それができずに、なんだか抜け殻のような家になってしまっているわけですが、
リフォームを考えると、それこそいろんなことを思わずにはいられません。
ちなみに私のこだわりの部屋も、今回ほぼすべて模様替えです。
暮らしの風景が、たぶん大きく変わるでしょう。
資金の関係で、希望はあまり適えられないのですが、慣れるまではちょっと大変かもしれません。
工事は夏以降からのようですが、節子と一緒に過ごしたこの家で暮らせるのもあと数か月です。
ちょっとさみしい気もします。
先月読んだ磯野さんの「医療者が語る答えなき世界」にはこんな文章がありました。
私たちは住んでいる場所や、それまで使ってきたモノ、そこで過ごしてきた時間に様々な意味を付与し、その意味とともに暮らす生き物でもある。亡くなった両親の実家を取り壊す時、それが単なるモノと場所の消滅以上の意味を持ち、私たちに複雑な感情を抱かせるのは、その空間に両親とともに生きてきた時間が流れているからである。
その意味がよくわかります。
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