■節子への挽歌4662:人は会うべき人には会うものでしょう
節子
いまもなお気が向いた時に雑誌類などを廃棄し続けていますが、うっかりと読み直したりしているとそこに自分が書いた記事が出て来ることがあります。
読み直してみるとそれなりに新鮮で、ついつい捨てがたい気持ちになり、残してしまったりしています。
そんなことをしていると、ミニマリストの鈴木さんから叱られそうですが、過去への郷愁はなかなか捨てられません。
そう言えば一括して捨てた本の中に、友人との対談が掲載されていたなと思いだして、その本を探しましたが、残念ながらすでに廃棄されてしまったようです。
その対談の相手は、多摩大教授だったKさんです。
Kさんは節子の胃がんを知って、たしか南米の先住民に伝わる飲み薬を教えてくれました。それが節子の最初の処方薬になりました。残念ながら節子には効果を発揮してはくれませんでした。
彼は早々と引退しましたので、最近は会っていませんが、いまは自然豊かなところに転居し、夫婦2人で豊かな生活を送っていることでしょう。
Kさんのことを思い出すと、そこからまた芋づる式に、いろんな人の顔が浮かんできます。今も毎週のようにテレビで顔を見る人もいれば、いまではもう名前を聞くこともない人もいます。当然ではありますが、時々、気になるのは、消息が途絶えた友人のことです。その気になれば連絡は取れるのでしょうが、連絡をとってまで会う必要もないでしょう。人は会うべき人に会うものですが、同じように、会わないのもまたそれなりの意味があるからなのです。
こんな状況なので、身辺整理はなかなか進まないのです。
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