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2020/07/08

■節子への挽歌4680:コロナも大雨も「自然と人間の関係」の表れ

節子

寝苦しい夜でした。そういえば、こういう夜が昔つづいていたような気もします。
夜が嫌いになったのは、あの頃からだったでしょうか。

夜が明るくなったのも、あの頃からでした。
昔は真っ暗でなければ眠れなかったのに、いまは少し明るい方が眠れるのです。
それに、夜が意外と明るいことにも気づきました。

九州がまた大雨で大変です。
死者も出ています。
人がこんなに簡単に死んでしまう。
死者数を聞いても、自分のこととはつなげないで聞き流す。
それなのに、コロナの死者にはみんなどうして強い関心を持つのだろうか。

娘にそう話したら、自然災害と違って、コロナは自分で予防できるからだと言われました。娘は、私がマスクをしないで電車に乗るのに呆れています。
しかし、娘の意見には私はあんまり納得できなません。
自然災害も予防できるし、コロナも大雨も「自然と人間の関係」から生まれている。
自然の中に、私たち自身が入っていることを忘れているのではないかと思うのです。
ちなみに、娘は土いじりが好きではなく、私の畑作業もめったに手伝ってくれません。
困ったものです。

風が今朝も強く、風の叫びが聞こえるようです。
これがもしかしたら、「言葉の誕生」につながっているのかもしれません。
風が叫び、人が叫んで、人間になった。
この歳になると、叫びたい気分よりも、叫べない気分のほうが強くなってしまいます。

それにしても、どうして新型コロナウイルスがこんなに騒がれているのか、本当に理解できません。
人間は、やはり叫びたがっているのでしょうか。

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