■湯島サロン「コロナ騒ぎで考えたこと-「ただのおばさん」のメッセージ」報告
「コロナ騒ぎで考えたこと」シリーズの第2弾は、「ただのおばさん」編でした。
ちょっと私自身の生活事情から報告がすっかり遅くなってしまいました。
今回の話題提供者は、湯島のサロンでも時々お茶を点ててくださる井田里美さんです。
井田さんは、コロナ騒ぎの前から茶の湯を通して、社会との関わりを深めてきていますが、その過程で、さまざまな問題にぶつかり、それがきっかけで私との接点ができました。
「ただのおばさん」と自称していますが、生活の視点で社会と関わりを深めると、両者のずれに気づいてしまうという典型的な事例と言えるかもしれませんが、そこで「まあ社会とはこんなものか」と納得してしまうことのないのが、「ただのおばさん」のすごいところです。
話は全く違いますが、いま話題になっている財務省の赤木俊夫さんと雅子さんの違いをつい思い出してしまいます。
私は、この社会を変えていくのは、そうした「生活者」としてしっかりと生きている人たちではないかと思っていますが、残念ながら社会と生活の対話は、極めて難しいのが難点です。
サロンの報告が、おかしな方向になってしまいましたが、サロンでは、井田さんがコロナ騒ぎに惑わされずに生き方を大きくは変えずに済んだのは、「生活の杖」として「茶の湯」があったからだと言います。そのおかげで、社会の変化もよく見えたようです。
生活をするとは単に生きていることではなく、しっかりした自分と付き合うことなのだろうと思います、なにしろ何があっても結局は自分で責任をとらなければいけませんから、組織(社会)に身を任せていれば安心な生き方とは全く違います。
みんなどうしてこんなにも社会の風潮に自分を合わせていけるのかが、時に話題になりますが、もしかしたら「自分の生活」よりも「社会の一員」であることが行動の判断基準になっているからかもしれません。
サロンでは、茶の湯や利休に関心のある人もいて、話はともするとそちらに行きがちでしたが、生活と重なる形で生業的な事業に取り組んでいる人も複数参加していましたので、その視点からの話も出ました。
そういう人たちの視点から見ても、やはりコロナ騒ぎはいささか奇妙に見えているようです。
いろんな話題が出ましたが、井田さんとしては、茶道具を持って、いろんなところに出かけて行って、茶の湯を楽しみながら、自らの生き方や社会のあり方を話し合う場をつくっていきたいと思っているようです。
湯島でも改めて、井田さんの茶の湯の会を企画したいと思っています。
報告になっていない報告ですみません。
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