■節子への挽歌4704:彼岸なのにお墓になかなか行けません
節子
お彼岸なのですが、なかなかお墓に行けません。
困ったものですが、家の位牌にユリとメロンを供えました。
メロンは節子の郷里の高月から届いたものです。
ユリは、庭で咲いたカサブランカを供えたかったのですが、タイミングが外れてしまい、花屋さんで買ってきました。
退院した独り暮らしの友人に電話したほうがいいよと娘から言われました。
連休の間は医師も看護師も来てくれないかもしれないからです。
娘も自分が入院して、そういう気遣いができるようになったのかもしれません。
人は自分で体験しないと、なかなか痛みはわからないものです。
電話をしたら、今ちょうど、医師が来ているということでした。
医師や看護師は休日もなく、働いている。
生命にはカレンダーは無縁ですから、当然と言えば当然ですが。
まあ元気そうでした。
娘も退院後、リハビリで家の中を歩いていますが、まあ今のところ問題なしです。
友人から、医師が帰ったと電話がかかってきました。
今日は特別に来てくれたようです。
癌という病気は、突然に体調を急変することがあるから、できることはやっておくようにと言われたそうです。
そういわれても独り身なので、そう簡単にはできません。
やはり一度また行ったほうがよさそうです。
改めてインフォームド・コンセントの難しさも感じました。
医師の話と友人の話とが、まったく食い違っていたのは、いずれかが嘘を言っているわけではないでしょう。
そう思えるようになってきました。
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