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2020/07/16

■節子への挽歌4693:自分と他者、家族と友人

節子

友人や知人も大変なのですが、わが家もそれなりに大変です。
同居している娘のユカがいま病院に通っていますが、今度は1週間ほど手術入院することになりました。
それで入院中の私の食材を買いに行くというので、私もついていきました。
1週間くらいどうにでもなるでしょうが、簡単に調理できるものを買い集めてきました。

手術なので、何があるかわからないので、近くに住んでいる次女母子と一緒に食事でもしようと思っていたのですが、孫が今朝から発熱し幼稚園も休ませたそうです。
この時期、万一のこともありますので、会食も中止しました。
次女は次女でいろいろと大変なのです。

私自身も高血圧のせいかどうも体調がよくありません。
いろんなストレスが重なっているせいかもしれません。
いや、梅雨の気圧のせいかもしれません。
いやいや、フェイスブックに書かれる友人知人のコメントのせいかもしれません。
なまじ「友人」だと思っているからか、書かれているコメントにがっかりすることが多すぎるのです。それも、あまりにも、です。

前の記事を書きながら思っていたことですが、私には「友人」など本当はいないのかもしれません。あまりに世界が違う気がします。
いなければいいなと最近つくづく思うこともあります。

今日、退院だと言ってきた友人の主治医から電話がありました。
退院は月曜日だそうです。
今日退院だと思って、いろいろと手配していたのに、困ったものです。
本人に電話したのにつながらない。

主治医は、医師の責任もあって、最悪の場合を踏まえて話しますので、聞いている方はかなりのストレスです。
私のように、死を素直に受け入れられるようなものでも、かなりこたえます。
本人に言いたいですが、そう簡単ではありませんし、友人たちにもうまく伝えないと誤解されかねません。
そうでなくとも、先日は私の報告で友人同士でトラブルが起こってしまった。
そんなことにまで気配りをする元気はいまはありません。

家族と友人とが助けを求めた場合、どちらを優先すべきか。
この問題は、自分と他者とに置き換えれば答えは明らかです。
優先すべきは他者であって自分ではない。
だとすれば、家族よりも友人の方を助けるべきでしょうが、なかなかそうも割り切れません。
やはり、友人はいない方が平安な暮らしができますね。

今日は、つくづくそう思いつづけています。

 

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