■節子への挽歌4696:人と話す機会が減りました
節子
コロナ騒ぎの影響もあって、最近は人に会う機会が減りました。
多い時には毎週数十人に会っていた時もありますが、最近はサロンを別にすれば数人です。サロンでは毎回10人くらいの人と会話しますが、対面しての話とはだいぶ違います。
人と話すことが少ないということは、異質なことが入り込んでこないということでもあります。だから退屈してしまうのかもしれません。
人と会わないとわずらわしさからも解放されるはずですが、そうとは限りません。
最近はネットを通した他者との(一方的な)交流もあります。
直接に対面して話し合うのとネットでの間接的な交流とは全く違います。
後者の場合、「言葉」や「文字」での交流なので、なかなか情感が入りません。
言い換えれば、ある部分だけが受け取り手の情感にゆだねられて伝わるのです。
わずらわしさだけが伝わってくる場合もあります。
実際に会って話していれば、決して誤解されないようなことでも誤解が起こることもある。
ですから、ネットでの交流が増えると、むしろ人嫌いになりかねません。
人と直接会っているとどこかで相手の良い面が見つけられますが、それが難しくなるのです。
ネットでの人との付き合いの比率が増えると、私の場合はどうもストレスが高まるようです。
最近ちょっとまたストレスフルです。
今日は湯島でサロンですが、誰かに八つ当たりしなければいいのですが。
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