■節子への挽歌4705:言葉と心身は同じであって、同じではない
節子
衝撃的な事件が起こりました。
ALS患者の51歳の女性が医師によって「安楽死」させられたのです。
時評編に書きましたが、この事件に関して、同じALS患者の方が、新聞社にこうメールしてきたそうです。
誤解して欲しくないのは、
彼女の意思表明は、生きたいと思ったからこそのものであること、
そして事実生きていたということです。
私も報道に接した時に最初に思ったのはこのことでした。
言葉と心身は同じであって、同じではないのです。
節子も一度だけ、もう終わりにしたいと言ったことがあります。
しっかりしたつながりがある人であれば、その言葉の意味をきちんと受け止められるでしょう。
しかし、闘病の辛さだけを見た人は、言葉でしか受け止められないかもしれません。
「安楽死」という言葉そのものが、誤解を与えますが、
そもそも生きるとか死ぬとかは、そして生きるということそのものが安楽ではないのです。
報道に接して以来、この事件が頭から離れません。
昨夜は4時に目が覚めてしまいました。
今日は寝不足で、つらい1日になりそうです。
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