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2020/07/01

■節子への挽歌4671:ネット対応に追われていました

節子

今日はFBやネットがちょっとにぎやかでした。
山本太郎さんに私があまりに入れ込んでいるためか、批判がいろいろと届いています。
山本太郎さんが「愛のある政治」と言っていることに共感する主旨の投稿をしたら、此れも手厳しくしかられました。
そうしたコメントに対応していたら、あっという間に午前中が終わってしまいました。

FBだけではなく、メールやメッセンジャーでもコメントが届くので、3つの画面で並行して対応していたので、疲れました。
しかし、世間と付き合うということはそういうことでしょう。
一度意見を表明して、それへの反論があったら、きちんと回答しなければいけません。
そういう姿勢を続けていると、やはりネットは面倒になってきて、やめたくなるのですが、やめてしまったら、そこで終わりです。
そうはしたくないので、問いかけには誠実に対応しています。

元気づけられるメールには、「ありがとう」で終わりますが、異論反論にはきちんと対応しなければいけません。
しかし、異論反論への回答は正直あまり気持ちのよいものではありません。
なんでこんなこともわからないのだ、と内心思うことのほうが多いのです。
その時の私は、たぶん相手と同じ立場になってしまっているのでしょう。
相手も、そう思っているかもしれないのです。

それにしても、私の生き方はあんまり理解されていないようです。
その証拠に、私の書いたことがなかなか伝わらないのです。
今朝は、表現には気を付けてと言われましたが、どこをどう気をつければいいのか、わからないので、そのまま、そう返信しましたが、まだ返信が来ません。困ったものです。

もっとも、みんな「悪意」があって反対してくるのではありません。
私のために言ってきてくれるのでしょうが、そう素直に受け取れないのが人間の弱さです。
やはり同感だとか賛成だと言ってきてくれる人のほうが好きになってしまいます。
困ったものです。

そこを超えなければ、いけません。
人はやはり弱い存在です。

 

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