■節子への挽歌4676:被災ぶりの背広と靴で疲れました
節子
昨日は半年ぶりに背広を着て、靴と靴下をはいて、出かけました。
会場がお茶の水女子大学だったのと企業研修の要素もあるあるプログラムに、一応、話し手側として参加したのです。
最近はずっと裸足でサンダルでしたので、とても歩きにくかったのですが、さらに靴下のゴムが劣化していて、歩いていると靴下が下りてきてしまうので、大変でした。
歩いていると靴下がだんだん下りて、靴の中にまで入っていくのです。
靴下のほうがきちんと私を理解して、裸足に協力するようになっているようです。
靴下から理解されるのはうれしいですが、とても歩きにくく、いつもの数倍も疲れました。
やはり靴下と靴は疲れます。
ちなみに、私以外の人はみんなカジュアルで、なんだか私だけ場違いでした。
やはり自らに合った、素直な生き方をしないといけません。
背広も問題でした。
着心地が実に悪いだけでなく、なんだか大きいのです。
ユカからも、ちょっとおかしいね、と言われましたが、身体が縮んでしまったのかもしれません。
先日、鈴木さんがポール・ジョンソン『ソクラテス~われらが時代の人』を読んで、ソクラテスと私の共通点が見つかったといって10項目教えてくれました。
そのなかに、「靴を持たず、衣服も少なかったが、本は好きだった」というのがありました。
靴も衣服も持っていないわけではないのですが、長いこと買っていないだけなのです。
ユカからは洗濯のたびに捨てられるのですが、靴下はほとんどはかないので、古いのがまだあるのです。衣服はみんな畑仕事の作業衣にすると言って残していますが、時々、間違えてそれを着てしまい、恥をかいています。
困ったものです。
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